キリスト教のついて批判的に書くことがいつしかライフワークのようになった。いつでも辞められるし、いつか辞めたくなるかもしれないけれど、とりあえず10年続いた。この先どうなるかは分からない。
批判することで敵意を向けられることもあるけれど(初期は本当に多かった!)、同意をもらえることもある。共感してもらえると本当に嬉しい。しかしそれだけ自分と同じような被害者がいるわけで、喜んでもいられない。
気をつけなければならないのは、批判することで気持ち良くなることだ。キリスト教批判の投稿に沢山の「いいね」が付くと気持ち良くなり、そのうち気持ち良くなるために批判することにもなりかねない。だから自己批判も必要だ。辛口の率直な意見を言ってくれる人も必要だろう。
問題を起こすキリスト教会に共通するのは、自浄作用がないことだ。自浄作用がないから、小さな問題が大きな問題になってしまう。それを批判する自分自身にも、自浄作用がなければならない。批判する自分を批判的に見ることが。