石川能登地震の様々な報道を見て、東日本大震災の頃を思い出している。
当時、私たち教会スタッフは「被災地支援」の使命に燃え、震災の2日後に被災地に入った。牧師が「被災地に一番乗りした教会」というステータスにこだわったからだ。
到着したのは夜で、私たちは被災者用に解放されていた宮城県庁で、被災者用の毛布をもらって寝た。大義がなんであれ、被災者の場所と資源を奪う行為だった。当時は神に感謝したが、今思い返すと恥ずかしい。全くの無知だった。
翌朝行動を開始したが、素人ボランティアに活動の余地はほとんどなかった。それでも無理くり沿岸部の小学校に入って(1階部分が津波で浸水しており、大変な被害だった)、発電機で携帯電話の充電サービスを行った。持って行った物資(飲料水と食糧)は小学校に寄付した。全く役に立たなかったわけではない。感謝してくれる人もいた。若いスタッフたちはみんな一生懸命だった。けれど「押しかけボランティア」だったのは間違いない。
ぜんぶ牧師の売名行為だった。「被災地に一番乗りした教会」にこだわったのもその為だ。その後の行動、例えば牧師が被災者に物資を渡す姿をアングル指定で撮らせたのもその証明だろう。
思い返すと本当にくだらない。被災地と被災者をとことん利用していた。石川の被災地で同じことが起こらないよう願うばかりだ。