私は裕福な家庭で育ち、教養と教育を受けてきました。春からお茶の水女子大学への入学が決まっています。しかし、この教育が必ずしも自信につながるわけではないことを、私は日々感じています。特に、シリアスな議論の場では、自分の知識の不足や意見の強度のなさが露呈することを恐れています。
SNSで見ると、愚かな発言をする人は容赦なく批判されることが多いです。そんな中で、私も議論に参加すれば、倫理的に問題のあることを言ってしまうかもしれないという恐怖があります。私の内面では、常にこのような自己疑念が渦巻いています。
しかし、ここで一つの疑問が生じます。黙っているだけの私は、本当に倫理的に誤っている人間よりも優れていると言えるのでしょうか?沈黙は、時に金と言われますが、それは単なる逃避ではないのでしょうか。
私はこの問題に対する明確な答えを持っていません。しかし、自分の思考を深く掘り下げることで、少しずつでも自己理解を深めていきたいと思っています。自分の内面にある不安や弱さを正面から見つめることは容易ではありませんが、それが自己成長への第一歩だと信じています。
結局のところ、重要なのは、自分がどのように感じ、どのように考えるかを理解し、それに基づいて行動することです。自分の意見を持ち、それを表現する勇気を持つこと。そして、もし間違いがあれば、それを学びの機会として受け入れること。これらは私が今後、自分自身に期待することです。
シリアスな議論に参加するかどうかは、私の自信や知識の深さに依存するかもしれません。しかし、もっと重要なのは、自分自身に正直でいること、そして自分の意見に対して責任を持つことです。沈黙が金か、それともただの逃避か。その答えを見つける旅は、まだ続いています。