昔、子供たちのためにと考えて、有害だと判断されるアニメの放送停止を求める運動に参加した人たちが、子供たちから嫌われているという話を聞き「子供のために活動しているのに」とショックを受けているという記事を読んだことがある。私の感覚でいえば、保護という行為が同時に権利を制限することであり、そりゃあ恨みや不満を招くだろう、という話である。そもそも子供側は、観たくないものは観なければいいので、放送停止するのは選択肢を奪うということになります。
例えば、(確か土地とか建物関係で)未成年者が保護者の許可なく大きな買い物をした場合、取り消しできるという法律があったと思います。これは未成年者を保護するためですが、同時に売り手はそんな法律があったら保護者の許可のない未成年者に売らない、つまり売買の機会を制限することにもなります。つまり、保護の裏には常に権利の制限が存在するのです。
ここで、VTuberという文化に触れてみたいと思います。私は事務所所属のVTuberに対して少し抵抗を感じています。素人をオーディションで選び、数十万人の視聴者の前で生放送させるこの文化では、問題発言が発生しないわけがないと思っています。それで儲ける資本家はEvilに感じてしまうし、会社として考えたら「この会社の新人教育は崩壊している」と思ってしまいます。私の考える正しい社会は、新人は弱い責任の仕事から始まって知識を蓄えながら責任が強くなってほしい……。「マニュアルの作成、教育と保護が必要」と思うのですが、私の考える基準でそれらを準備するのはベンチャー企業には難しいでしょう。
しかし、若者(だけがなっているわけではないでしょうけど)から見れば、私の考えるような保護が施されれば、彼らの稼ぐチャンスが奪われてしまうという側面もあります。子役、若いアイドル、配信素人のVTuberといった文化には、抵抗感がありますが、当事者からしたら「過保護にされたら、私たちのチャンスがなくなる」というところでしょう。結果として、おそらく私の何倍も稼いでるわけですしね。
これは、保護と自由、権利の制限とチャンスの確保というジレンマを示しています。どの程度まで保護すべきか、そしてどの程度の自由を許容すべきかは、非常に難しい問題です。私たちは、保護することと個人の権利やチャンスを尊重することのバランスを調整する必要があります。
ままならないですね。どうあるべきなんでしょうね。