映画などの映像作品について語る時に人はシナリオについて語るし、音楽について語る時に人は歌詞について語りがちだし、「将太の寿司」について語る時は異常者の異常行動について語りがちだ。
でも、それって「語りやすいところ」について語っているだけで、面白いところ、価値を感じているところはそこじゃないんじゃないか?
特に音楽なんかは、喋る言葉がないと良さを感じている部分を語りづらい……。そこそこインストの曲を聴いているけど、何か喋れと言われても困ってしまう。映像だと演出、音楽なら音、将太の寿司ならドラマに魅力を感じているけど、言語に近ければ言語に近い部分ほど言語化しやすい。
この構造にはいくつか問題があるように思う。
そこについて語る空間にずっといると、そこに興味がある人間になってしまう気がする。自分自身でもそれについて語る言葉がないと、自己理解が進まない気がする……。
「語りやすいところ」ではなく「魅力を感じているところ」について喋らないと無駄ではないか。枝葉末節について話すのって価値ないのでは。おそらくそれを語る言葉はすでに世界にあるんだけど、それを学ぶのはだいぶ「勉強」よりの行動なんだよな……。