2024.01.21
かもめかもめ青海を行く一羽の鳥そのすがたおもひ吸ふ煙草かな
鳥が「行く」という表現が気になっているようだ。擬人法なのか、比喩なのか、この時の俺は擬人法だと思っている。「かもめ」の白と「煙草の煙」の白を重ねて、どちらもふよふよしている、などという感想を述べている。
音数を数えてみて字あまりが3句に渡って出現していることに気づいている。びっくり。本来7音の句で8音の字余りをしたときに「気になる字余り」と「気にならない字余り」が存在するようだ、という話は、別の時にしている。
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2024.01.22
わが手より松の小枝にとびうつる猫のすがたのさびしきたそがれ
「さびしき」という語が出てくるときに音の気持ちよさを感じるようだ。
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2024.01.23
鬱々とくるわより帰りひとを見ず朝の林に葉をわけて入る
ここで「課題」スタンプが出ている。「気になる字余り」と「気にならない字余り」の差を考えたいという話だ。理論的な(演繹的な?)判断でなく、帰納的に導出してみたいと思っている。いったんは「最後の語が奇数字で始まるなら気にならない、偶数なら気になる」という仮説を立てている。反証を探している。
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2024.01.24
秋花の茎を噛み切る歯のさきのつめたさよ朝のこのうつり香よ
四句の後ろ2音+五句 という句跨り、他でも見る。四句8字の字余りで、「あさの」が6音目から始まることもあって、シンコペーション感が強い。ひょっとすると「気になる字余り」は「シンコペーション字余り」と≒かもしれない。
【未解決】スタンプが置かれている。「朝のこのうつり香」とはなんであるか、詰められなかった。実際、いまでもやっぱり廓帰りの視座人物が遊女の髪やおしろいのにおいでも移されたんじゃないか、と思うんだが、それは俺の読みが固まっていて浅いだけかもしれないので、まだ【未解決】のままにしておきたい。
しかしこの謎は解決するのか?
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2024.01.25
秋の市街しづかに赤く日を浴びぬやがてなつかしきわが夜は来む
これも四句8字の字余りなのだが、3+5はシンコペーションの様相は薄くて、「なんかでかい!」って感じがする。なんだろう。
【未解決】スタンプがある。「しづか」と「赤し」の連用形が気になっている。意味の違いをもう少し考えてみようか。
「しづかなる赤き日を浴びぬ」(連体+連体):静かで赤いのは日。
「しづかに赤き日を浴びぬ」(連用+連体):赤いのは日。静かなのは浴びること。
「しづかなる赤く日を浴びぬ」(連体+連用)これは無理がある。
→「静かに浴びる」はそんなに違和感はないのだが、「赤き日」ではなく「赤く浴びる」というのが気になっている。日を浴びるのではなく、赤く浴びるんだ。それは次にやってくる”夜の「黑を浴びる」”ことを予期している表現なのかもしれない。違うかもしれない。
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2024.01.26
蛍のごとわが感情のふわふわと映るすがたがふつと眼に見ゆ
副詞が、しかもオノマトペがこれだけ使われているのは珍しい気がする。(いや「修飾されない『別離』」周回で形容詞副詞を避けまくっていたから目に新しいだけか)感情を蛍に喩えるのは、牧水が蛍を見慣れていたから思いついた表現なのだろうか。彼の故郷の坪谷には、たくさんの蛍がいただろうか。
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2024.01.27
我がうしろ影ひくごとし街を過ぎひとり入りゆく秋植物園
「わが」を漢字で当てるのも珍しい(おおむねここまでは「わが」はひらがなで来ていた)。あとは「ひくごとし」の助動詞終止形に惑っている。「我がうしろ影ひくごとき街を過ぎ」なら、…いや意味が通じないか。「我がうしろ影ひくごとく街を過ぎ」なら、ゆっくり日暮れの街を通り過ぎた、みたいな表現になるだろう。でもそうしなかったんだ、じゃあたぶんそうじゃないんだろう。
そういう、「そうではない」からしか意味を導けないのも、ちょっと変な話かもしれない。
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と、1週間全部やろうと思ったが、結構きつい。
きついが、とりあえずひと月頑張ってみて、ひと月の振り返りをしてみたいのだ。どういう効果があったか、何が苦痛だったか。とにかく言葉にして、ノートしないと、俺は忘れる。