前半のストレス過多を後半で立て直すことができなかった一週間だった。緊張を強いられる場面が多い場合や出社による生活リズムの変更があった場合にリカバリーする方法を、いくつか手段として持っておきたい。たぶん誰かが考えてくれるものでもないので、自分でいくらか試して、これという方法に名前を付けて、何回かチャレンジしてみて、確立する、という方法しかない、ような気もする。
今週も、一週間の中で課題/未解決/問いのスタンプを押したものをひとつピックアップして考えてみたい。
---
窓ひらけばぱつと片頰に日があたるなつかしいかな秋もなかばなり
「なつかしいかな」は(2)何を(1)懐かしがっているのか?という話。
(1)まず、「なつかし」とはどういう意味なのだろう?
「なつかし」が取る意味は、
心がひかれる。親しみが感じられる。
手放したくない。かわいい。いとしい。
昔がしのばれて慕わしい。なつかしい。
(『三省堂全訳読解古語辞典』より)
現代語でいう「なつかしい」は中世以降の使用らしいが、牧水が詠んでいるのは明治の終わりなので、その使用もありうるというテイで考える。
窓を開いて片頬に日が当たることと、秋もなかばであることを感じることの間に「なつかしいかな」の詠嘆がある。太陽光の角度から秋を感じることに対しての発言だろうと思うので、①心が引かれる②なつかしい、のどちらかの意味でとれそうだ。
(2)そもそも、日光の角度に対しての発言なのか?それとも秋がなかばであることに対しての発言なのか?自分はこの日(2/27)、太陽光の角度に対していってるんじゃない?と書き残している。
むちゃくちゃ書き下して訳すなら、この歌、「窓開いたらぱっと片頬に日が当たったよ。いいねえ、秋もなかばだね」くらいの意味になるんじゃないかと思っている。
そうならば、たしかに、その「いいね」(心惹かれるねえ)を引き出したのは窓からの太陽光の角度である。が、その言葉は「秋もなかばなり」のほうにつくだろうと思う。
こまった。なんだろう、たぶん、これについて「どっち側の言葉である」という話をするには、自分には、適切な語彙というか、適切な道具(学問的知識)がない気がする。何をどう検討すると、もともと出したかった答えに近づけるかがわからない。
ちょっとすごい道半ばだけど、あきらめようと思う。今日の収穫は「いいねえ、秋もなかばだねえ」という砕け切った訳文である。
いつかここに帰ってこられるだろうか。適切な語彙を用いて、適切な理論を用いて、この文章はこういっているのだ、と表明できるようになるだろうか。
戻ってこられるかもわからないが、ここに大きな墓標を立てておこう。いつか読み返した自分、これについてもうちょっと言葉を重ねてくれ。