今週もお疲れさまでした。
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2024.01.28
植物園の秋の落葉のわびしさよめづらしくわが靜かなること
「わが靜かなること」という表現に引っかかっているらしい。でも「わたしが静かであること」くらいに読めばおかしくはないと今は思う。
「わびし」と「めづらし」の2つの形容詞が含まれていて、なんというか表現リッチ。
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2024.01.29
ふるさとの南の國の植物が見ゆるぞよ秋の溫室の戸に
宮崎の植物を展示している植物園のことか。これ、『若山牧水伝』を開いても、このころの日記や手紙を見ても、どこの植物園のことだか書いてないのだけど、明治44年の牧水は東京にいるので、東京のどこかの植物園なのだろう。
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2024.01.30
うなだれて歩むまじいぞ櫻落葉うす日にひかりはらはらと散る
「歩むまじいぞ」の音の不思議さを思っている。こういう表現を見ると時間的隔絶を感じる。
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2024.01.31
心のうへ狹霧みな散れあきらかに秋の日光に親しましめよ
「親しましめよ」を最初「親し/まし/めよ」という品詞分解にしてしまって、意味が取れなくてちょっと悩んだ回。こういうのって、成形された文であれば決して残らない誤りなのだけど、俺はあくまで「ノートで思考する」をやっているので、その筆跡を残そうとしている。
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2024.02.01
それ見よさびしき膝の濡るるものさかづきを手になにを思ふぞ
字足らずは字余りより違和感が大きい。でも、モーラ(音の数)を増やすことで定型っぽくすることができる。「そぉれ見よ」か「それ見ぃよ」か、そうやってちょっと伸ばすことで音数を4から5にしてしまうだろう。というのを思っているようだ。果たして、牧水はどのように読んだのだろう。
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2024.02.02
見も知らぬをんなのそばにひと夜來てねむらむとするこころの明るみ
「見も知らぬをんな」に対する考えをめぐらせている。遊女だと思うのだけど、他の読み方があるのだろうか?
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2024.02.03
友を見てかなしきこころ潮しきたる見まはせど酒に代ふるものもなき
謎に字余りしている。「代ふるものなし」でよかったと思うのだが、牧水がこれを字余りのまま残したことに、多分意味があるのだ。そういう、「そうしなかったことによる効果」を拾っていきたい。
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もう一度読む、という行為、もうちょっと時間かけてもいいんだろうと思う。どうやってやっていこうか、引き続き検討する。