1週間の感想_20240331-20240406

文月
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仕事柄、月末月初は鬼のような忙しさになる。やることが多いというよりは、拘束時間が長く、疲労する。夜が遅くなるので、寝る時間が後ろ倒しになり、結果朝も遅くなる。起きるとすぐに仕事を始めて、起きている時間はずっとPCの前にいるような格好になる。深夜手当がつかないギリギリの時間までやることをして、閉じたらすぐにノート作りにかかる。疲れた頭だとなかなか言葉もまとまらず、でも23時を迎える前に終わらせないといけないので、なんとか空白を埋めて、投稿する。そんな感じ。

あんまりよくない習慣だな、と思う。ほんとうは朝の時間とかに考えたいのだけど、朝はギリギリまで寝ていたい、というか起き上がりたくないと思う。起きたら仕事が始まっちゃうので。

もう少し気楽に生きられないものだろうか。仕事も、為事も。生きる資金をつくることがなかなかどうして大変だ。とはいえ、自分で選んでここにいるので、辞めるならその選択も自分がしなければならない。それもなかなかどうして、大変なことだ。現状維持バイアス。


4月に入って、ノートのフォーマット(テンプレート)を一部変更した。

訳文_いつもこれを書くのが苦痛だった、自分には歌の心情が理解できないので、そういう「言葉になっていない」情景を付け足す、作り出すことができなくて、直訳になってしまって、それが「はずかしい」という感情を生み出していた_の欄を削除して、その代わりにいつも手元にある参考文献を明記する形にした。これの他にも手が届く本棚に並んでいる書籍は随時参照するので、ここに書かれているだけでこのノートができているわけではないのだけど。このさき、たくさん参考にしたときにはこの欄の記述を増やすようにしよう。

それから、「読んでる」本の欄を広げた。1日にたくさん読んでいるよ!という自己顕示欲ではなくて、参考文献欄と高さを合わせたらすごく広々してしまったというのが本当のところ。まあ、たくさん読んだり、もう少し読んだ本についての記録_歌の読解に何か影響したりしたなら、それをメモするべきだと思ったので、広いままにした。

それから、「質問・疑問・思考過程」の欄を2ブロック構成から1ブロック構成にした。自分は、改行が多くなるより、横に長い方が思考が紡ぎやすいようだ、と今は感じる。ただ、iPadの画面でこのサイズの文字を書こうとすると、どうしてもちょっと引いて文字を入れざるを得なくなり、そうなると文字が雑になる。罫線の間隔もちょっと検討するべきだろうか。


ふと、「自分がそう感じていること」をこうも言葉にするようになったのは、本当に最近のことだなと思う。

自分はいままで、ずっと霧の中にいるような感覚でいた。脳裏によぎる言葉が、あるにはあるのだけど、それらは捕まえようとした瞬間に気化してしまって、自分の周囲に掴めない形で浮遊する。それが視界を悪くして、次の言葉も捉えられずに、また霧を濃くする。ずっとそういう循環が続いていた。霧の中で、なにがなんだかわからないまま、立ち尽くして、なんとなく手でとらえることができたよくわからないものを、これぞ自分の言葉だ!というような顔をすることでやり過ごしていた。

頭だけで考えて、なんでも覚えていられて、スマートでウィットに富んだ応答ができる人が憧れだった。そういう人たちの出力しかみてないから、その出力を真似しようとして、書くことを、書いて留めることをおざなりにしてきた。

さすがにこの年齢になって気づいた。

まず、俺はそういう天才じゃない。ワーキングメモリはしょぼいし、そもそもかなり視覚偏重の人間で、耳で聞いたことを長く留めていられない。(そうだよ、お前、日本語の聞き取りテストですらそこそこひどいスコアだったじゃないか。英語なんて言わずもがなだったしな。)

そして、おそらく、俺が憧れてきた人間たちについても、俺が目撃してない場面で……頭だけじゃなくツール使ってるぞ。おそらく、書いたり読んだり喋ってフィードバックしたり、たくさんしてるぞ。

ちょっと気づくのが遅すぎたかもしれないけれど、でも今気づいたならいまから始めよう。

言葉の捉え方を、気化してしまう言葉の固定化の仕方を教えてくれたのが、『すべてはノートからはじまる』『思考を耕すノートの作り方』(倉下忠憲)だったり、『独学大全』(読書猿)だったりする。

目にも止まらぬ速さで逃げてしまう言葉を、もういちど言葉に直して書き留めて、そうして目に見えるようにすること。それらを整理すること。

そうしていくことで、この霧が薄くなっていくこと。

ほんのちょっとずつ、実感し始めた。

この霧が晴れる日が来るかわからない。晴れた状態もわからないし、晴れることがいいことなのかもわからない。晴れたと思い込むことがよくなさそうなのはわかるけど、そういう状態になったことがないから、いまは何もわからない。

だけど、自分はこれからもこうして言葉を書いていくのだろうと思う。


1週間、忙殺されたが、今週1週間もそうなりそうだ。

日曜日だけたくさん本を読んでいるが、毎日そのリズムの中で生きたいものだ…。