音楽と人に会う一週間でした。さて、今週も振り返り。
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2024.02.11
わびしやなまたも夜つゆの軒したにかへりて雨戸たたかねばならず
形容詞が来ると、形容されているその思いに心当たりがなくて狼狽えることが多い。自分の人生の中で「これがわびしい」ということを感じたことがないわけではないのだろうが、それを明示的に認識したことはないし、自分のそれと牧水のそれが同一であるとも限らない。彼が思ったことを彼が思ったように理解することが、100年隔てたあとの時代にいる自分にできるのだろうか?
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2024.02.12
眼の見えぬ夜の蠅ひとつわがそばにつきゐて離れず恐しくなりぬ
眼が見えないのは蠅なのか己なのか、恐ろしいのはなぜなのか。自分はいつでもこうして言葉の前に狼狽えるのだけど、ふつうはこれ迷わず読めるものなのかね? 人がどのように歌を読みとくのか、会話してみたい。
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2024.02.13
ひとりねの枕にひたひ押しあてていのりに似たるよろこびを覺ゆ
いのりに似たるよろこび、というもののおぼつかなさ、理解できなさに狼狽えている。今週めちゃめちゃ狼狽えてるな。
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2024.02.14
いつとなく秋のすがたにうつりゆく野の樹々を見よ靜かなれこころ
比喩がいいなあと思ったんだった。「秋のすがたにうつりゆく」。
山装う、とか、花笑う、とかの季語的な比喩表現がすごく好きで、それに似た印象がある。
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2024.02.15
飛べば蜻蛉のかげもさやかに地に落つ秋は生くこと悲しかりける
『死か藝術か』は大正元年刊行のものと全集収録のもので読点の異同が多いのだが、読点を消したものと残したものの差異は何なのだろう、という疑問を置いている。もし俺が『牧水研究』に寄稿するなら(過去の論説を全部洗って、書かれていなければだけど)こういうテーマで書いてみたい気持ちもある。
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2024.02.16
秋の地に花咲くことはなにものの虚僞ぞことごとく踏み葬るべし
この語気の強さなんなんだろう。「なにものの虚偽ぞ。」
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2024.02.17
なに怨むこころぞ夕日血のごとしわが眼すさまじく野の秋を見る
疑問代名詞「なに」とかが来ると、お前実はわかってんだろうといいたくなる。わかっていて、何を恨むこころなのだ、と、逆にぼやかしているんじゃないか。みなまで言わない。
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4回にわたって「とりあえず見直して感想を添える」をやってみた。
悪くはないけど、なにか新しいものが生まれるわけではなかったように思う。慣れてないからか、ただ書いてあることを再度拾っているだけだからか。
では次に何をしようか。「問い」「未解決」のスタンプを押したものだけをピックアップして、それを深める、ということをやってみようか。