100分de名著で『存在と時間』をキャッチアップした

furufuru
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ずっと前からいつか読みたいと思っていた『存在と時間』について、原著を読むのが難しそうだと感じたため、「100分de名著」を通じて存在と時間についての理解を深めました。

想像してた内容と全然違ったのですが、非常に面白い主張でした。また、本の内容だけでなく、著者自身や当時の世界情勢、弟子たちによる後の批判など、書籍の枠を超えた話題にも触れられており、非常に興味深い構成でした。

『存在と時間』で描かれていること

『存在と時間』は、「存在とは何か」という根本的な問いに対して、存在を認識する主体としての人間(現存在)を中心に考察するアプローチを取っています。

未完成ながら、人間(現存在)がどのようなものであるかについて解説され、存在についての議論の方向性を示しているのが、非常に興味深い点です。

本の多くの部分は、人間(現存在)が世間の空気(世人)の中で、どのようにその人が持つ本来的な自己(本来性)が薄れて、世間が規定する自己(非本来性)になっていくのか、そしてその中で人間が本来的な自己を取り戻していく過程で重要な概念(先駆的決意性)はどのようなものかという考察のようでした。

このような世間の空気が自己を規定するという世界観の中で、一人一人がどのように生きていくのが良いかを検討しているのがポイントかと思いました。

世間の空気に支配された結果、無責任になる

ハイデガーは人々が世間の空気に支配されると(頽落; たいらく)、世間が規定する自己になってしまうことを指摘しています。ただし、全ての人はこのような世間が規定する自己でもあるということも言っています。

100分de名著では「責任」というキーワードで本書を読み解いていますが、この世間の空気に支配されることで、人々が無責任になってしまうと言っています。

例として上がっていたのが、いじめの問題です。いじめは「なんとなくみんながしているから」、「あいつが気に入らないから(これ自体が世間が作り出した、世間に影響された意見かもしれない)」などで、いじめに加担してしまうことがあります。

私は会社でもよくある話だなと思い、「○○さんが言ったから」や「そういう雰囲気だから」などで、責任を放棄してしまっている人も多いのではないでしょうか。私もたまにやります。

なぜ、このように世間の空気に支配されてしまうかというと、世間の空気に同調していると安心できるからだそうです。そして、この不安は払拭されることなく常に付きまとうものだということです。

世間に飲み込まれた無責任から脱するために

そのためのキーワードが「死」であるようです。死はいつでも起こりうるものですが、それを意識すること(先駆)を通して、本来的な自己を取り戻すことができるといいます。

日常の中で、これで良いのだろうか?といった疑問などが湧き起こることがありますが(良心の呼び声)、こうした声に耳を傾ける態度を(決意性)が本来的な自己への鍵だといいます。

ハイデガーはこの「死を意識すること(先駆)」と「良心の呼び声に耳を傾ける態度を取ること(決意性)」を合わせることで(先駆的決意性)、自分の人生そのものに対して責任を持つことができると言っています。

人間と時間の関係へ

この人生に対して責任を持つ際に重要なのが、過去の人生(負い目)について引き受け、同様に先の人生に対しても責任を持てるというメカニズムが働くと言います。

この過去を引き受け、この先の未来について本来的な自己を持ってして生きていけるという話が、人間と時間の関係を表しているそうです。

問題提起のその先

こうした人間(現存在)の議論を通して「存在とは何か?」に迫っていくのが、この本の主題でしたが、残念ながらこの本はここで未完成となってしましました。

ハイデガーとナチスドイツ

最終回の第4回では、ナチスとハイデガーの関係について検討しています。

戦後の様々な人たちの検討から、どうやらハイデガーは自身の哲学をナチスに見出していたということがわかっています。

これはとても重要な視点で、ハイデガーの思想のどのような部分に問題があるのかを私たちは注意深く理解する必要があると感じます。

ハイデガーへの批判 ハンナアーレント

ハイデガー弟子であるのハンナ・アーレントは全ての他者を世人として一括りにしている点を指摘しています。自分以外を他者とすると、孤独になってしまい(原子化された自己)、全体主義が忍び寄ってくるということを言っています。ハイデガーの思想は全体主義の支配に対して脆弱であったと指摘しています。

アーレントは人間はそれぞれが異なった存在であり(複数性)、それが全体主義に抗う基礎になると言い、さらに、ハイデガーへの批判として、そして他者との関わりの中で本来的な自己が見えてくるということも指摘しています。

ハイデガーへの批判 ハンス・ヨナス

ハイデガーの弟子であるハンス・ヨナスは良心の呼び声について、それは決意を促すが間違った方向に進んでも暴走してもそれを知ったり止めることはできないと言います。

ハイデガーの考え方に従うと、ナチスの行為すらも正当化してしまいます。

ヨナスは責任とは他者の生命を守ることであるといい、自己の人生にだけ責任を負うことへの批判を寄せています。

存在と時間のその先

最後にこの解説を行なっていた哲学者の戸谷洋志は「存在と時間で考えられると良かったことがあるとしたら?」と言う問いに対して以下のように答えています。

ハイデガーは、本来性を取り戻した現存在がどのように他者と関わるべきかを明らかにすべきだった。

感想

この本を読めば「存在とは何か?時間とは何か?」がわかるかと思っていたのですが、そもそも人間(現存在)とは何かというのがテーマの中心だったのは意外でした。

日常生活でふわっと思っていたことが、良き概念と共に説明されており、思考がクリアになったように思います。責任というキーワードで読み解くのも良かったように思います。

一方で良いなと思った時にそのまま受け入れるのではなく、問題があるとすればどのような点か?などは注意深く検討しなくてはいけないなと言うことも気付かされるとても良い学びとなりました。