それは、祭だった。
感動ということばはありきたり過ぎて波の起伏を正確には表現し得ない。その波の正体はある角度からは音楽に見え、別の角度からは祈りに見える。波は怪しい光線で照らされ微妙に色を変化させてゆく。
祭のかえりみちはさびしい。どんなに長く生きていたってその法則は普遍だから、更けたホームの上で本日の本気をすでに使い果たした電車を待っている。そこから続く変性意識には終わりがないように思える。
目を覚ましたくない夢をみているように日曜の夜は歩み続ける。逆らうことはしない。夢と現実は連続しているが、その境界線がとくに曖昧になることがある。祭とはそのことをいう。ぼくたちは永遠に祭のかえりみちを歩き続けなければならない。