日曜の夜に似合う音楽を探している。今夜はラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」を流しながら窓の月を眺めていた。
正解のない問いに振り回されているように思えて、実はそれを楽しんでいることに気づく。日曜夜の重さがぼくは割と好きで、今この瞬間に生きている感覚を覚える。ラヴェルは正解でも間違いでもなくこの夜に展開された世界のひとつに過ぎなくて、その世界にぼくとぼくの月があったというだけのことだ。明日になれば別の世界が展開する。連続性は錯覚に過ぎないけれど、その錯覚を手放せないから辛い感情に支配されてしまう。
ピアノの音は細胞に浸透しやすい。音のひとつひとつがミトコンドリアに吸い込まれていき、残りが余韻となる。そんな現象が透けてしまうから夜はデリケートなのだ。