1日15分を毎日する、といった、毎日何かを続けることを苦手に思う。
苦手に思うけれど、毎日続けられる技能は人生において特だ。
私はそれを羨みつつも、毎日続けることよりも、毎日続ける窮屈さから解放されるほうが自分にとっていいことだと感じていて、だから毎日続けることをしないのかもしれない。
これについては今の自分はそうなのだ、と観察している。
私の好きな漫画「シロとくじら」の作者さんであるtunralさんは、2021年の年末に12月限定で1か月間毎日日記を書いていた。
私はそれに憧れて、1か月間毎日欠かさずに日記を書いたことがある。だから実は今の私は、1か月間毎日日記を書けた私だ。
31日目が終わった後、解放感はなかった。
達成感もなく、ただ1か月間続けて日記を書いた人間になった事実だけがあった。
その時の日記は読み返していない。終わった後があまりにも無味だったので、私は前とは違う日記の書き方を調べ始めた。
自分は日記を書くことで何を欲しているのか、ただ毎日続けるという行為ができる人間になりたいのか。それなら無味な文章でもいいはずだ。それでよくないということは、別の何かを得たいのだろう。
たまに本屋さんで日記に関係する本を物色しながら模索している。
今は『さみしい夜にはペンを持て』を電子書籍で買って少しずつ読んでいる。
『さみしい夜にはペンを持て』著者 古賀史健
11/16にしずかなインターネットを見つけて投稿し始めてから、今日で4日目だ。
現状の自分はあまり健全ではない。
なぜなら、何度もホームページへ行って感想が来ているか確認しているからだ。
報酬系が刺激されて、承認欲求が育っている。
そのうちに文章を投稿しない日を設けるだろう。
そういえば、自分は毎日何かを続けることができない人間なのだ、と安易に自責して心を沈ませているときに効く言葉を思い出した。
私は生きている。だから毎日欠かさず何かをすることができない人間ではない。私は生きるを毎日している。
さて、浮上しよう。
今日は掃除をしたし、洗濯もした。大量の服の山を削るついでに冬用に衣替えもした。机や棚上に置いたままだった食器も片づけた。
部屋はきれいになった。
爪を見る。伸びている。
精神が下降しているとき、ふしぎと爪が伸びている。
この後風呂に入って、爪を切るのもいい。
切らなくてもいい。
22時36分。「そのうちに文章を投稿しない日を設けるだろう。」と書いたが、今日をその日にしようと思っていた。けれど、毎日続ける息苦しさより、一日欠けて損なった気分の方が不快だったため、書くことにした。書いてよかった。
ですます調から、だ・である調になっている。小説ならば、本ならば統一するとよいが、そうでないからその時の好きなようにしよう。