教育虐待

ふたばこ
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「教育虐待」という言葉を聞いて、ハッとした。

嗚呼、やはりそうだったのだ、と思った。

私は小学生の頃にピアノを習っていた。どういうきっかけで習い始めたのかは覚えていない。はじめは幼稚園時代で、通っていた幼稚園の近くの白いご門の個人宅だったと思う。当時は茶色の小さなピアノでバイエルをちょこちょこ弾く程度だった。ただ、「〇〇ちゃんは、お手々が大きく指が長いからベートーヴェン弾きね」などと言われたのを覚えている程度でのんびりしたものだった。

小学校に入り別の先生についた。確かに習得は早くどんどん教則本を進め、発表会でトリを務めたり演奏をレコードにしたりして先生にも可愛がられた。それでも、一般的なお稽古事のひとつであることに変わりはなかった。それがいつの間にか、本格的な取り組みに変わっていった。先生はヤマハの先生から、音大の先生に変えられた。ピアノはアップライトの一番大きなものになり、1日に数時間の練習を強制されるようになった。音大の先生の家は遠く、小学4年生でバスを2本と電車を乗り継いで通った。母は音楽の素人なのに、私の弾き方にいちいち指図をし彼女が納得するまで練習を終えることができなかった。何よりつらかったのは、同じような年齢の近所の女の子がピアノの練習を始めると母がヒステリーを起こし、私にも練習を強要することだった。私は外から聞こえるピアノの音にビクビクするようになり、3時間になんなんとする毎日の練習に疲れ果てた。ピアノをやめたいという訴えは受け入れられることはなく、心が荒んでいった。

思い余って教則本をすべて近所の竹やぶに捨て、遠い祖母の家に家出をする。

そこからどうやってピアノをやめたのかはあまり覚えていない。ただ、あれから数十年経っても心のなかの残った傷は癒えることはない。晩年の母にいまひとつ心から尽くせなかったのは、結局、この傷が原因だと思い返している。

何が母をあそこまで追い立てたのかわからない。明らかに嫌がっている子どもに何故、あれほどきつく強要したのだろう。虐待にはさまざまな形がある。他人からみれば恵まれていると見える環境のなかに、子ども心を抉る虐待が潜んでいることもあるのだ。そして癒えることのない傷もある。

@futabako
にぎやかな人込みを離れてきました。