02月09日(月)

futatabinidoto
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公開:2026/2/10

 ようするにもしかして小選挙区制がよくないの、か?

 みたいな気持ちになった今夜だった。あいにくと不勉強のインターネット読み齧り知識なのであなたがどう考えるかはあなたが調べてあなたが判断してほしい。私はそうかもと思った。あなたと私は住んでいる町も信じるものも違うかもしれないが、違っても別に構わなくって、でもせめておなじ一票という土俵の上にいたいよなあと思うのだった。

 だからあんまり「どこそこに入れた人は何考えてるんだ」「何も考えてないんじゃない?」みたいなことを、私と近い考えの人にも、言ってほしくないなあとは思うのだ。気持ちはわからないとは言わない。私の中にも「なんでだよお」みたいな気持ちはある。でも一生堂々巡りじゃんそんなの。私の一生だってあと100年しかないのよ。他人を変えることってものすごく難しくてそう簡単にできるとは、私は思わんよ(確実にできるとしたらそれは洗脳って呼ばれるものだと思うんだよな)。そりゃあきれいごとだと言われたら、そうだけどさ。だけどいちばんしちゃいけないことって分断だと思うから、鋭すぎることばが望まない形で分断を深めるのはいやかなと思っている。黙ってほしいわけじゃないよ。私も黙りたくはないよ。

 生存がかかっている人の苦しみや怒りに、まあまあ落ち着いて、なんて言えないのも本当。これはおとといの日記にも書いたことと近い。むずかしいね、どうすればいいんだろ、私にできることなんて他人を変えられることじゃないんだけどね。だから他人の怒りはごもっともだと思いながら、私は今日は「怒らない(正しくは怒ったり悲しんだりはしているけど言動を荒っぽくはしない)」ができる日だったから、できる日だったのでそうしている。私ができない日のときは誰かお願いしたい。365日怒れる人ってそんなにたくさんはいなくて、365日怒らない人もそんなにいないだろう。今日は私が怒らないをやる番だった。明日は私が怒るをやるのかもしれない。

 あ、書いていて思い出したけれど私も、私が怒っているときに「抑えておさえて」と言われると余計腹が立つ人だった。だって元上司のセクハラだとか、理不尽な会社の仕組みだとかに、私が怒っているからあなたが怒らずにいられるっていうのに!私が去ったあとの組織で誰が代わりに怒っているのか知らない。

 話は反れることだけれど私は、同僚にセクハラ発言をぶちかました上司だけではなくて、その場で上司を殴らなかったすべての人間と組織の腐敗に腹が立っているから、同僚に宥められるのすらお門違いもいいとこだった。私はあなたにも怒っているのよ。そう、私は私にいちばん腹が立っている。あのときあの子をかばえなかった自分を、一生あんまり許せなかろうと思う。「何を大袈裟な」「諫めるのだって別の上司の仕事でしょ」みたいに他人事ぶってるやつは一生、そうしていたらいい。

 はあ。このように当事者に近いほど、当事者意識のあるほど怒るのも当然である。このセクハラ大事件の折に、私は「ああ、友人が言っていた『連帯してほしい』という心持ちは、こういうことだったのかもしれないな」とやっと思ったのだった。せめて一緒に怒ってほしい。私の怒りを宥めないでほしい、否定されている心地になるから、この怒りは正当なものではないのだと言われている気分になるから。あの時の私はすごくそう思っていた(今でもこの件に関してはそう思っている)。

 いやしかし、怒ること、怒るのを止めないでほしいと思うことと、相手を馬鹿にしたり見下したりすることはちと違うような気もするか。私もそれが混じってしまうのはよくなかったと思う。いや実際、宥められたときに宥めてくれた相手を口汚く言った覚えはないけど、「ああじゃあ泥船に沈んで老いていけば?」と思った事実は否定できない。うううん。ちょっと個別具体の例が微妙だったな。

 私はものすごくかなり広めの意味での広告業界の、端の端の端の方にいるのだけれども、こういうことをされると広告の倫理とは……みたいな気持ちになる。そりゃ、ものが売れるように、たくさんの人が見てくれるように、見てほしい人に届くように、考えるものだけれども、だけどやっぱり嘘は吐いちゃいけないとかありもしない効果を書いたらいけないとか職業倫理やら薬事法やらあるわけ。

 おかねのある企業がたくさん広告を打ってものを売るのと、政党がおなじ扱いというのは、なんだかなあ、それって広告を出す業界の側でも考えなくちゃいけなくないのかなあ。みたいな気分になった。果たしてJAROに言うのでいいかわからないが、JAROのご意見フォームを見つけたのでそっと送ってみた。

(ていうかネット広告やSNS広告って、おかねのない会社でもいいものを作っていることを知ってほしいというときに、テレビCMみたいに多額のおかねをかけなくっても宣伝できる夢と希望のサービスだった側面もゼロではなかったと思うんだけれど。YouTubeだってアマチュアでも楽しく動画を発信できるウキウキプラットフォームだった気がするんだけれど。うううん、結局札束での殴り合いに持ち込まれてしまうのか)

 私も自分より若い人を考えが浅い、だなんて言えないところはあるんだよ。だって私が若い時の方がよっぽど何も考えてないもん。私よりよっぽど深く考えている若い人、いると思う。私よりちっとも何も考えてない先輩諸氏、いると思う。だけどせめて親戚のちびたちがこれから生きる国をマシな状況で残してやりたいなあ。それはとっても思う。

 これは私の所感だけど、SNSで投げつけられるちょっといやなことばたち(私が直接浴びたことはないけれど)、アカウントの向こうにはいつだって人がいるけれど、一方でアカウントの数だけ人がいるわけではないと思うことにしている。だからこそ人の数が反映されるところでもある選挙、小選挙区制もうちょっとどうにかならんのかなあと思う次第だった。

 法律をどうにかするっていっても数年かかるんだよ、みたいな話もお見掛けしたけれど、私のあと100年しかない人生のうちの2年も持っていかれるなんて普通にとってもいやよ。2年のうちに親戚のちびたちだって言葉を覚えてゆくというのに。

 今日もよく働いた。明日もよく働いて、諦めずに生きていこう。私はこれをやれる日だったからやりました。明日できそうになかったら、代わりに誰か、やっといてもらえると助かります。