366

ふわぬい
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365日前の私は、こうして日記を書き続けることによって、ここではないどこか華々しい場所にたどり着ければと思って最初の一歩を踏み出したに違いない。しかしながら、大変申し訳ないことに、いまの私はその大きな理想を見つけられないままにいる。そもそも途中からどうしてこんなことをしているのかさえわからなくなってきた。駅伝のたすきが、ランナーたちの汗を吸いながら、ゴール地点まで脈々と受け継がれていく。まさかその大切な一本のたすきを失ったままゴールテープを切る阿呆なランナーなどいるまい。「いいや、ここにいるぞ」と私は声を大にして言いたい。その類まれなる阿呆がここにいる。366人目になるこの私は、当然たすきを掛けていたはずの1人目の私に顔向けができない。

ただひとつ言えることがあるとするのなら、私はいま一年前とはべつの場所にいる。ひとりではじめたこの孤独なレースにも、気がつけば終着地点で待ち構えてくれている人がいた。私はただひとりで書いていただけなのに、道中で励ましてくれたり、手を振ってくれたりする人が次第に増えていった。

結局のところ、書いているときの私が孤独であることに変わりはない。それは私にとって動かしようのない真理であり、逆に言えば書くために必然的に孤独を必要としている。しかしながら、だからといってそれ以外の生活でも他人を遠ざけてばかりいると、人は人として破綻していく。365日、私が人として書き続けていられたのは、ひとえに私の書いたものを読み続けてくれた人たちのおかげである。あるいは、私と関わろうとし続けてくれた人たちのおかげである。そういった人たち全員に、いまここで感謝の意を伝えさせていただきたい。ほんとうにありがとうございました。

本日をもって、私は日記を書くことをやめる。

そして本来の仕事に戻る。ようやく思い出してきた。私は往々にして意味も目的もなく文章を書く。よってたすきなんてものはもとより存在しない。1人目のわたしもたすきなんて大層なものは掛けていなかった。たすきがなくても人は走る。この場所も数多ある給水所のひとつに過ぎない。ゴールのように見えるすべてがまやかしである。ここはどこなのか。それはわからない。これから一年後どこに立っているのか。まったく見当がつかない。それくらい見当がつかないような場所に、いま私はいる。