仕事が妙に忙しい。別段に繁忙期とかはない仕事なのだが、とにかくずっと慌ただしくしている。慌ただしくなると頭がまとまらず集中できず、次しようとしたことを瞬時に忘れそれを確認するのにまた時間がかかり、みたいな愚かなことばっかり繰り返している。ずっと社内向けの稟議書を作ってるが調整や折衝にも骨が折れ無意識のうちに疲労が蓄積している。いろいろな業務が積み重なって一気に流れ込んできたのと、わたしのスケジュールの見通しの甘さが手招いた結果なのだが一ヶ月ぐらいずっとこんな感じで心が落ち着かないでいる。もしかしてサラリーマン辞めるまでこんな忙しなさを抱え続けなければならないのか?と思うと、わたしにはこの仕事は向いていないとしみじみ思う。いち早く宝くじを当てて辞職届を出して月の裏側に逃げ帰りたい。
今日もいろいろミスしたり図星を突かれて「タハハ……」みたいな笑いをこぼしてたのだが、確実にツラの皮が厚くなり心臓に毛が生え職場人格が図太くなった。少し前の自分はだいぶナイーブだったんだな、と遠い気持ちにもなる。職場で怒鳴る同僚にドン引きして泣いてたぐらいだ。慣れたとか、強くなったとか言えば自分に心強さを感じるようで聞こえはいいけど、感覚が鈍っているだけ、と思うと少し怖い。もしくは細かな感情に拘っている暇が単にないというか。つまり典型的な感情の欠落したお仕事マシーンになってます。
ふだん仕事が終わった後って、割と元気であれしよう、これしよう、今日はあれができなかった、明日はあれしよう、みたいなことを考えられるのだが、今日はもうなんにも欲がない。シンプルに疲れていて、なにもしなくていいんだ、と安らかさすら覚える。無茶苦茶な気温差のせいか、久しぶりにジムでスクワットしまくって筋肉痛が身体を重くしてるからか、なんかいつもと違う疲れ方をしているな、と思ったので今日は捨てる。捨てる、と思うと急に気が楽になる。毎日、仕事終わりの限られた時間に、あれをしないと、これをしないと、と思い詰めすぎているのかもしれない。
穏やかに本でも読もうと思ったけど、固い文章はあんまり文字も頭に入ってこないので止めた。今は錬金術の歴史について書いた本と、ウクライナ作家アンドレイ・クラコフによるウクライナ侵攻前後の日々をまとめた『侵略日記』、イラク戦争帰還兵五人について書いた『帰還兵はなぜ自殺するのか』、マルグルットの『東方綺譚』、笠井潔の探偵小説『バイバイ、エンジェル』をちょっとずつ読んでます。あとAudibleで「イラク水滸伝」を聴いてる。戦争や従軍した人について理解したいという気持ちが高まっているので、戦争関連の本を読み漁ってます。今わたしが知りたいのは、従軍した人が過去熱烈な愛国心を持っていたが今の時代とはそぐわなくなってしまった、あの戦争は間違いだった、という形で語られるときどういうふうに心を置くのか、そして彼女ら彼らを我々はどう受け止めるべきなのか、ということ。『戦争は女の顔をしていない』を読んだとき、語られるエピソードにどうしてもグッと胸を掴まれてしまう(それはフィクションを消費しているときと近い態度、近い反応で)ということがあり、自分でも反応に困ってしまうことがあったのだ。答えは出なくても、とにかくいろんなものを読んで考えられるだけの土壌を厚くしたい。
なんかもう少しやさしめの小説があってもよいな…と思ったので長野まゆみの本を本棚から抜いてベッドに入ります。
今日確かに元気なかったのだが、バクターを作る気力はなぜかあり、おそらく香辛料の効いた薬膳スープが飲みたかった。紀伊國屋で本を注文してたので、わざわざ新宿に寄って受け取り、満員電車で押しつぶされたあと、ヘトヘトになりながら家に帰ってスペアリブをゆでこぼし、一時間スープを煮込んだ。おかげで、自分の中で1.5倍になっていた時間がゆっくりに戻せた気がする。あえて時間をかかることをする、ってリラックスには結構いいんだな。