日記:20240930

 数日前に一度会っただけの人が、夢に出てきた。料亭みたいな場所に入ろうとしたら声をかけられて、一緒に食べることになった。どんなメニューがあるかも見られないまま目覚めてしまったな。夢の中でくらい、高級なものを食べてみたかったぜ。

 また11時台後半に起きた。4~5時に寝て11~12時に起きるという、最悪の生活リズムが定着してきている。睡眠時間そのものは割と確保できているっぽいけれど、このままでは人間社会に溶け込めない。がんばらねば。


 散髪に行った。日記を見たところ、前回は8月28日に行ったらしい。前に行った日を確認できると便利なので、「散髪」タグを作った。完全に自分のためだけのタグ。

 初めて見る理容師さんだった。見た目はいかついけど、話し方は柔らかくてオーダーもしやすかった。しかし私の説明が下手で聞き返されてしまい、申し訳なかった。声のボリュームもうまく調節できなくて恥ずかしかった。

 タグの名前、「散髪」じゃなくて「散髪に行った日」にした。他のタグも「読書」→「読んだ本の感想」のように、7文字で統一したネーミングに変えた。私はこういうことを度々やり、すぐシンプルな名前に戻したりする。


 無印のノートを買ってみた。5冊で税込399円なので、100円ショップより安い。なんと5冊で199円のやつもあったが、表紙が好みだった399円の方にした。

 これまでは「A5サイズ・7mm罫」のノートをよく使っていたが、今回は「B5サイズ・6mm罫」を選んでみた。サイズを大きくしたぶんスペースに余裕をもって書けそうなので、6mm罫の2行を贅沢に使用し、実質12mm罫として使おうという作戦である。私は文字が小さくなりがちなので、意識的に大きく、見返しやすく書いてみようと思う。


 100円ショップで200円のマスクを買った。30枚入り、グレー。

 まったくマスクをしない人も増えてきたが、私は大学構内ではマスクをしていたい派。ただ私は、「大学生は『まだ気を付けている人』を馬鹿にしていそう」という偏見を持っている。なので色付きにすることで、予防だけではないファッション感を出して抗おうとしてみた。

 私は誰と戦っているのだ。


 村上靖彦『客観性の落とし穴』(ちくまプリマー新書)を読んだ。1年以上前に購入していたが、読みかけのまま放置してしまっていた本。ここ数日本を開いていないな~と思い、もうすぐ読み終わるところまで来ているこの本があったことを思い出したので、読書の勢いをつけるために読んでみた。結果、夢中になって読み終えた。後述する『物語の役割』との関連を考えると、1年寝かせた意味があったとも思う。

 資料の「客観性」や、数字として示されるデータが盲信され、個別的な経験が顧みられなくなっているのではないか。そんな危機感に基づいて著された本書は、客観性を真理として追い求めるようになった西欧科学の歴史紹介から始まり、能力主義や優生思想の流れにも触れたのち、個別具体的な「経験」や「語り」の大切さを説いてゆく。

 論の流れや各章の概要をまとめてくれる記述がたびたび登場し、込み入った内容なのにとても読みやすかった。

 そもそも「ちくまプリマー新書」というシリーズ自体、読みやすくておすすめ。まず、フォントの種類や大きさに威圧感が無い。さらにページの紙が厚めなので、めくるたびに「読み進めているぜ」という実感をはっきり抱くことができる。

 ページ数もほどよくて読了しやすく、公式で「最初の新書」と謳われているのにも納得。それでいて内容やテーマ選びはしっかり分厚いので、今後もたくさん読みたいと思っている。……そろそろ本書の感想に戻ります。

 ちょうど最近読んだ、小川洋子『物語の役割』(ちくまプリマー新書)。この本と内容が重なる部分がかなりあり、びっくりした。「物語る」という営みの必要性・重要性について、それぞれの本で述べられている部分を引用する。なんとなく、語り口が柔らかめの小川さんから先に引用するけど、順番にそこまで深い意味はないです。

たとえば、非常に受け入れがたい困難な現実にぶつかったとき、人間はほとんど無意識のうちに自分の心の形に合うようにその現実をいろいろ変形させ、どうにかしてその現実を受け入れようとする。もうそこで一つの物語を作っているわけです。(中略)誰でも生きている限りは物語を必要としており、物語に助けられながら、どうにか現実との折り合いをつけているのです。

(小川洋子『物語の役割』 (2007) ちくまプリマー新書、22頁)

偶然を言葉にしていく語りとは、言葉にしがたい理不尽な現実に対して、最低限納得のいく言葉と行為によって応答する営みだ。(中略)不合理で意味を持たない現実に対して、かりそめにせよ意味を与えることで生き延びる試みが物語るという営みだ。

(村上靖彦『客観性の落とし穴』 (2023) ちくまプリマー新書、118-119頁)

 村上さんは客観性至上主義のような考え方に警鐘を鳴らし、一人ひとりの個別具体的な経験や語りに重きを置く「経験の内側に視点を取る思考法」(主観的という意味ではない)を実践・提唱している。

 以前大学で(以前大学という名前の大学に通っているわけではない)、均質化ではなく、多種多様なすべての人を受容する「多にして一」という形での社会紐帯を目指す考え方について学んだ。多様であるという共通点をもって、誰も取り残さないという理念の実現を目指すのは望ましいことだと思うけど、もちろん簡単ではない。

 本書では「一人ひとりの声」「草の根のコミュニティ」といった要素を起点とした、誰もが尊重される社会へのひとつの道筋を提示している。まずは、こうした思考のあり方に目を向ける人を増やすことが第一歩だと思う。私も自分が勉強してきたことを思い出しながら色々考えはするけれど、なんらかの実践には至っていない。もっと語らい、できれば動きたい。


 秋だぜ! と思い、窓を開けて外気を取り入れたら、みるみるうちに部屋が暑くなっていった。しばらく換気した後そそくさと窓を閉めて、またエアコンを稼働させた。