今年の冬、皆が寝静まった夜に叔父が亡くなった。長い間、白血病を患っていた。
面白い人だった。
最新の設備を整えた病院の池に勝手にメダカをはなし、「勝手に生き物を入れないでください」と注意看板を建てられていた。
治療で髪がなくなった時はゲーミングカラーのカツラを被って見舞いに来た母を出迎えた。
優しい人だった。
終末医療の間も、ずっと周りの人のことを気遣っていた。皆が寝れているか、常に聞いていた。
お医者さんや看護師さん、皆と仲が良かった。…メダカの件がバレていたかは定かでない。
ガンダムが好きだった。
病状が落ち着いていた頃、関東を訪れてお台場のガンダムを見に行った。その時に買ったプラモを開ける間もなく病状が急変した。
入院して手術を控えた時、咳き込む1人の患者が同室になった。その人は咳を誤魔化していたらしいが、コロナだった。叔父も感染してしまったが、幸運なことに生還した。ただ、そのために手術が遅れてしまった。
余命1ヶ月の宣告を私が聞いたのは母と旅行へ行っていた時だった。何年も闘病していたので覚悟はできていたが、病状は落ち着いていると聞いていたので不意をつかれた思いだった。
母は名古屋と東京を行き来して、叔父にかなりの痛みがあること、痛み止めのために常に微睡んだ状態であることを私に語った。
余命1週間、いよいよの時が来て、叔父は家に帰った。これが最後になるだろうと庭を眺めたらしい。
そこから叔父はなぜか復活した。
この状況で流行病を持ち込んではいけないと見舞いは自粛していたが、最後に一目と会いに行った。
ベッドに目をやるとそこに誰もいない。おや?と思う間もなく部屋の奥から点滴を転がしながら叔父が走ってくる。あまりの復活ぶりに声を上げて笑ってしまった。こうして書き起こしている間も口元が緩む。
叔父は本当に面白い人だった。
お台場で買ったプラモを再開し、白血病を患う前の趣味だった鮎釣りにも行った。馴染みの床屋で髪を思いっきり金髪に染め、家族写真を撮った。
葬式の段取りも自分で決めた。昼食のメニューを決めながら、自分が食べられない事に気がついて悔しがっていたらしい。
やりたかったことをたくさんやって、余命1週間だったところを半年生きた。
亡くなってから、もうすぐで一年になる。一昨日、納骨の相談を母にと祖父母が関東に来た。まず、お台場のガンダムを見に行ったらしい。祖父がお土産にプラモとTシャツを買い、ガンダムが大きくプリントされた袋を持ったまま皇居を散策していたと、笑いながら母は話していた。
優しく面白かった叔父も、きっとその様子を笑って見てくれていただろう。