大変、昨日自分が書いてる小説の登場人物をデザインしていたら一日が終わった。ここの日記も三日坊主どころか一日で連続記録が途絶える。まぁ良いか。良いよね。
2024年、1月6日の私の話を聞いて欲しい。例によって更新日の日付は翌日だろうが、夜型の人間は人より少し遅れてその日が終わる。こればっかりはね。
まず、1月5日の良かった出来事を記そうと思う。書きに来れなかったからね。
2024年。1月5日。
私はSNS上で同じ時間を過ごす、所謂「いつもの面子」の中に能登半島地震の発生時間以降全く浮上していない人が居ることに気が付いていた。祈るような気持ちで名前を検索して、最悪の情報が並ばないことを祈る数日間。気付いた瞬間の気持ち悪さ、検索ボタンを押すまでの躊躇、あんな心地は初めてだ。
何せネット上だけの繋がり、あちらはこちらを何とも思っていないだろうがこちらは結構好意的に、面白い人だと思って見ていた。一方的だけど、深夜の時間を共に過ごす「仲間意識のようなもの」を向けている相手だった。
最近見かけないな、から、嫌な予感がして時間を確認し、その境界が地震にあると気付いたときの、文字にもならない虚脱感。
が、その日目覚める程の喜びに見舞われた。
生きていた。ふわっと現れたのだ。ああよかった。嫌な偶然だった。もし夢だったらどうしようって、しばらく全部投げ捨てて喜びに浸ることにした。
が、まぁ。なんというかこっちが勘違いして勝手に絶望して落ち込んで、現れたことに安堵して泣きそうになる、なんていう自分の状況にハッとして、ペンを拾い上げた。
落ち着かない、嬉しい、良かった。本当に良かった。顔も知らないし本名も知らない、そんな相手だってそりゃあ全力で喜んで良いはずだが、それを理由に怠けるのは良くないだろう。やるぞやるぞ。
機嫌よく笑顔の顔ばかり落書きしてしまい描いては消す。今日は使い物にならないなと落書きを描いて消し、描いて消し、ちょっとだけキャラデザに手を出して、やっぱり良かった、に戻って来る。
仕方ないので登場人物の身長表を作ってみて、よし、と頷いた。ちょっと進んだねっていう。そういう意味で。
小説のあらすじを、どうしたらより広く人に読んでもらえるだろうって考えて書き直し、本編も上げて、個人的には大変満足で充実した一日が終わった。
2024年1月6日。私にとっては今日の事。結構、どころかめちゃくちゃ良い日だった。聞いて欲しい。
まずここことしずかなインターネット、略してしずイン。しずインにさて日記でも書くかとログインしたらなんか知らない表示が付いてた。始めたばっかりだからチュートリアル的なのが届いたのかと思って開けたらなんと感想だった。
私の1月4日の「日記」に感想レターが届いていた。これって感想とかもあるんだ知らなかった。とちょっと驚いて中を見た。
一言感想が書いてある。ありがとう。なんか気楽に受け取れて良い感じだ。良いぞしずイン。居心地よいかも。
で。次だ。いっぱいあったからね今日は。良いことがね。どんどん行こう。
まず小説家になろうというサイトでオリジナルの小説をアップしている私だが、初めて評価ポイントというものがついた。
読者さんの持ち点は全部で10pt。ストーリー評価5、文章評価5の5段階で評価される。らしい。調べたらそう書いてあった。
10pt丸ごと入っていた。
つまりストーリー評価も文章評価も満点の★5をいただけたということで。そんなことある?嬉しすぎる。私ははしゃいで何度も見た。夢じゃなかろうか。昨日まで0ptだったそこに一人満点を置いてくれたのだ。嬉しくないはずがない。素直にはしゃいだし喜んだ。今日も明日も頑張るぞという気持ち。
しかしここでは終わらない。
私は同じ作品を複数の場所に投稿している。より多くの人に読んでもらえる機会があることを期待してのことだ。
カクヨムというサイトもそのうちの一つだが、アプリがあるのでスマホに通知が出る。
エピソードに応援、私もまだあまりよくわかっていないのだがそれをすると♥がつくようだ。いいね的な立ち位置で理解している。ぽつぽつと♥が飛んできて、それすら珍しいので驚いていると★が舞い込んできたのである。
★はレビューコメント、評価であるらしい。これも初めてついた。
こんなことあります?一日で好意的に評価されることが別サイトで重なるのだ。それはもう喜んだ。レビューコメントを何回も読んで、スマホを掲げた。画面が輝いて見える。別にスマホ画面の明るさの話ではない。
レビューコメントの表示が出来るページを何度も開いてしまった。ちゃんと中身を読んでくれているのがわかる文章。これ以上の喜びなんてあるだろうか。ブクマやフォローやいいねやお気に入りも嬉しいし、評価やレビューもそれはもう嬉しい。全部嬉しいが何しろ初めてついた★である。印刷して額に入れて飾りたいくらい嬉しかった。スクショで我慢した。クラウドにも保存した。家宝って呼んでも良いかな。
ただしスマホを斜めにしてみたり掲げてみたり夢かなホントかなと何度も同じページを開いては閉じ、という私の姿を他人が見たら「奇行」と判じるのに充分だ。
でも喜ばせて欲しい。今日以降こんな素晴らしいことが続く保証はどこにもないのだから。