自分一人を考える分には、幸せの形だのなんだの、そもそもそれが世間一般に通じる意味を持つかどうかさえ、どうだっていいことではある。一方で伝わりにくい幸せの形というのは、どうしても親しい人々を不安にさせるもので、比較して結婚だの何だのわかりやすい幸せはその意味で便利だ。私も少しくらいそういうわかりやすい幸せの形を持っていたら、少しは周りの心残りを晴らすことができるんだろうか、と感傷的に迷って数年たった。多分ずっと迷う気がする。くらめ日記がかりん@すこぶるポエティック歌、編み物、カレー、コーヒー、文房具、神社仏閣、美術館、旅。