毎日が余生、という気分で、スタンスで暮らしている。
ゆっくりとそういう兆しはあったけれど、明確に意識しだしたのはたぶん半年〜一年前くらいから。
もう2年前になるけれど、母が他界。
その2年前には父が他界し、並行して実家を売り払うなどしながら、乳飲み子であった娘を育てたりなんだりしていて、まあまあ忙しかった。
その間、独立して全然食えなくて、首が回らない状態から、少しずつ商売がうまくいってきて食えるようになって。というのもあり、まあまあというか振り返るとかなり忙しかった気がする。当事者であるときにはあまり気が付かないのだけど。
それで、人間など年を経るまでもなく、いつ死んでもおかしくはないというメメント・モリ的な考え方が強くなってきたのかもしれない。
毎日が余生と思って生活するようにしている。
毎日が、余りの生。
引退してから〜やりたいんだよねえ、とか、そういうのはいまやる。やれることは。
人生の楽園に期待しない。いまがその時。
みんな、毎日が余生。
そう思って、去年は自分の趣味・嗜好をこれでもか、というくらいにぶち込んだ飲み屋も作り、なんとなくカレンダーに空白を意図的に作りまくり、ほぼ真っ白。仕事は最小限にして、任せそうなことは誰かに任す。任す人を探す。ということをやっていると不思議なことに、総労働時間と収入がまったく相関しなくなった。というか、なんなら逆相関してきた。
まあ、それは今だけで。
マグレさんにサポートしてもらっている要素もかなり強いのだろうけど。
それでもまあ、今日も余生、明日も余生なので。そう本気にならずに余生、気楽に愉しめばいいのではと思って暮らしている。