ある日、家のチャイムが鳴る。
「以前、投函した生活調査なんですけど…」
知らないなぁ、怪しいなぁ、と思いつつ
「あぁ、はい」と言い、調査の用紙を貰う。
(後でポストを見たら、調査のお願いの紙がちゃんと入っていた)
調べてみるとどうやら、きちんとした機関がやっている調査らしい。
調査結果は公開されてニュースなどでも使われるらしい。用紙をパラパラとめくり、質問の内容を覗く。
・どのくらい本を読みますか
・日常の仕事などどのくらい人と話していますか
といったようなことが書かれている。
「まあ、答えてみるか」
と思いつつ、ペンで◯をつけていく。
しかし、書きながらどんどん嫌な気持ち、ひいては怒りに近い感情が湧き上がってきた。
世代の一人として括られてしまうのが嫌だった。
これがニュースで、最近の世代は本をあまり読まず、地域の関わりも薄いというような言われ方するのを想像してしまった。それにコメントでやいのやいの言われる所まで脳裏に浮かぶ。
私は私でしかない。
別にこれは自分が特別であるとか、他とは違うんだという誇示ではなく、自分が大衆になってしまうのをまざまざと見せられるようで嫌だった。
一度ペンを置き、大きなため息をつく。
やはり私が、なにか、大きなものの一部になってしまうことへの嫌悪、憤り、恐怖に耐えられなくなった。
叫びだしそうだった。
常に大衆の一要素だったのにそれから目を背け続けてきた。
いま目の前にはその大衆を可視化する機構、調査がある。
どうしたものか。
小一時間悩んだ結果、答えていくことにした。
諦めに近いような吹っ切れである。
大衆になっていこうじゃないか。
まだ何者でもないのに、大きな枠に入れられてしまうのは恐いが、それから逃げることはできない。いつだってつきまとうものである。
だったら大衆らしく振る舞って行こうじゃないか。
個人の塊で社会はできているのだから。
そんなことを思いながら全ての質問に答えた。なぜか清々しい気持ちになった。
いまは謝礼のクオカードをどう使うかを考えている。