死電区間

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姉の結婚式は恙無く終わった。正確にいうと、表面化していないだけで問題は幾らでもあったのだが、一旦終わったのでよかった。

実家に到着してよくよく聞いてみたら式ではなく、親族の顔合わせ、お披露目会のような形で、全く畏まったものではないらしい。ここでおれのネクタイうんぬんかんぬんは全て無駄だった事を知る。はぁ。

会は旅館で行うのと、うちが主催のようなので自分たちで諸々の準備をしなければいけなかった。母に当日11時開始で何時入りするのかと聞いたら、10時か10時半というので、母の目算を全く信用していないおれと弟は9時入りする事を決めた。そして弟と2人で音響周りのセットアップをすることになり、これどっちもいなかったらどうなってたんだ?? と思ったが、声を張り上げればマイクがなくても聞こえるし関係ないのでなんでもいいね。

芳名帳もなかったけど、人が少なかったから関係ないし、母は参加者の中で一番来るのが遅かったけど、みんなで場を繋いだから関係ないね。

人生はこうして許容性を孕みながら進んでいく。

一仕事終わったので一年振りに煙草を吸った。珍しい人間なので一年に一本くらい吸いたくなる。逆に言えば一年に一本しか吸わない。弟が喫煙者なので拝借させてもらった。

煙草もなかなかに矛盾した嗜好品で、燃やした際に出る煙を吸う癖に、煙の温度が熱すぎると美味しくないとかいうふざけた代物だ。でも大多数の人間は中毒症状で吸ってるから、気にする人間は少ない。

急に吸うと温度が上がるのでゆっくり煙を吸う。煙草に灰がついていた方が温度が上がらないので、自重で落ちない程度にキープしながら吸う。舌を火傷したらおしまいなので吸った煙が直接舌に当たらないように角度を調整して吸う。

美味い。そうやってアホほど繊細に煙草を吸っている間、弟はすぱすぱ2本吸い終わっていた。

上京して10年以上過ぎ、母との連絡はもっぱら電話とLINEが占める中で、同級生の〇〇ちゃんが結婚しただの、××が夜逃げしただの、よくわからない他人のゴシップで連絡がくるたびに、そんなんで連絡してくんなよ、という話を長い間していたおかげで、母から姉の結婚の仔細は聞かなかった。自分から問う事もなかった。聴いたところで2人の人生に介入することはない。まず、口を挟む権利もないだろう。

深夜、旅館の寝具が躰に合わず、全く寝付ける気がしなかったので1人温泉に入りに行った。脱衣場には衣服が入ったカゴが一つだけ、つまり先に入っているのは1人だけだなぁ、と思いながら服を脱いでいざ風呂の扉を開けると、そこにはなんと、本日の主賓であり、今日知り合い、そして新しい家族である義兄がいた。

目が合って「あ」とお互いになり、軽く会釈をする。

躰を洗い、湯船に入る。

打たせ湯の落ちる音が響く。

義兄が同じ湯船に入ってきた。

ただ、打たせ湯の落ちる音が響く。

き、気まずい、義兄は会で多少会話をして、かなり内気であるということは判明していたが。た、助けてくれ・・・・・・!

会話が、ない。というか本当に義兄なのだろうか、眼鏡をしていないので自信がなく話しかけられない。髪を濡らすと人間は雰囲気が変わりすぎる。でも、あの眼の形はそうだよな、だが、いや、流石にこっちから話しかけねばならんか、今くらい少ししかない社会性をかき集めなければ、話始めは・・・・・・

「あ、あの、い、今眼鏡かけてないのであれなのですが、お、義兄さんです・・・・・・よね?」

これほど自分の眼が節穴でなかったことに感謝したことはないだろう。

心臓がまろびでる、という表現をするが、深夜の風呂、裸の付き合い、やはり一糸纏わぬ環境では、心の中身もまろびでてしまうのだろうか。

義兄は、少しではあったが自身の事を話してくれた。個人情報なので特に記さないが、大変な人生を送ってた。

義兄が先に湯から上がり、他に入ってくる人もいなかったので、貸切状態になり、雪が降る中露天風呂で空を眺めていた。

嫁ぐという行為について考える。契りを結び、苗字が変わり、他人の家庭に組み込まれる。

自分は実家があまり好きではなかった。長男だが、苗字を変えたかった。今の血脈に組み込まれた人生から逃げ出したかった。生まれて僅か数ヶ月で親が勝手にした契約を反故にしたかった。自分にはそんなもの必要ない。そんな契約は幸福ではなく足枷でしかないと叫んでいた。ていうか、0歳児の時にした契約を有効にするな。

だから、結婚するなら婿に行きたいなあ、なんて簡単に思っていた。なんとなくしがらみから逃げられるのでは、と思っていた。

そんな簡単な話なわけない。他人の人生に介入するという恐怖。話を聞いて、自分はどうしたいのだろうと改めて思う。

母の性格について「許容性を孕んでいる」と表現したが、本当はそんなものではない。

ただ、諦めているだけだ。

こんな人だからと、そんなレッテル張りで罷り通ってる。

だが、他人の人生は諦めることはできるが、自分の人生を諦める事は出来るか?

否である。

おれは自分の人生を諦めたくない。では、金を稼ぎ裕福になるのがおれの人生か?

金は欲しいが、結論としては否である。

では、結婚して幸せな人生を過ごすのがおれの人生か?

自分の人生に他人が絡みすぎるので、否である。

では、父の為、母の為、長男として今の人生を続けていくのがおれの人生か?

そんなわけねぇだろぶっ飛ばすぞ。

まあ、そんな事を言ったところで自分の人生が好転するはずもなく、答えも出ず、東京での一人暮らしを継続する事で中途半端な現状を維持し続けるしかない。

どんな事をしたら自分を犠牲にして結婚という行為に臨めるのだろう。結婚をする事で幸せになると言うルートを想像する事が出来ない。

露天風呂から上がって打たせ湯を頭から浴びながら考える。

頭頂部を温泉で叩かれながら思考は巡り続け、答えの出ない問答の先は躰と思考がのぼせあがるだけだった。

弟と一緒に外を見ながら朝食を食べた。別のテーブル席で食事をしている母のノンストップコミュニケーションが聞こえてくる。

天気は晴れ、所々に雲が見える程度で、特急いなほが運行中止にはならなそうで良かった、という話をしたところ弟が、

「いなほが途中で停電するの、デッドセクションって言うんだけど知ってる?」

全然知らないのでちゃんと聞くと交流と直流の境目があり、切り替えで停電になると言う。

調べると「羽越本線には,新潟県北部の村上と間島の間に直流1500Vと交流20kV50Hzの境界となるデッドセクションが設置されています

との事。漢字で書くと死電区間。

電気は全く詳しくないので特に言及できる事はないのだけれど、混じり合わない境目を死と表現する事に趣を覚える。ある意味、死が二人を分つ訳だ。

少し意訳し過ぎた気がする。でも、おれの文章なんてただのこじつけでしかないので仕方がないか。これも諦め。これがおれの文章力。

最近、文章を人に見える状態でアウトプットしているけれど、頭の中が整理されてとても良い方向に感じる。問題としては遅筆過ぎてひと記事2時間以上かかる事だろうか。

でも、週に2時間くらいなら人生と向き合ってみても良いかもしれない。どうせ答えは出ないし、人生はそう簡単に終わらないし。人生と向き合ってデッドセクションに失敗するならやめればいいし。

狂わない程度に人生と相対していくか。