「しずかなインターネット」のサイト内検索を切り捨てた運用を目の当たりにして、インターネット上でアクセス可能なのにどこにもリンクされていないから誰にも読まれていない文章ってこの世に無限にあるんだろうな~と思う。
中学生の時に、ほとんどフォロワー0人のアカウントでTwitterをしている時期が半年くらいあった。その時って一番たのしかったかもしれない。誰かが見るかもしれないところで自分が今一番面白いと思っていることを誰の制限も受けず発言する。「世界のみなさん、俺のセンスについてこれるかな?」初カキコ、ども……みたいなマインドで毎日しょうもない短文をせっせとアップロードしていたような記憶がある。しばらく続けたが、誰もふぁぼをくれないので自然とそういう活動はやめてしまった。
そして時は経ち2024年。SNSには相互監視の目が溢れかえり、やれコンプラ違反だ、やれ倫理的におかしい、やれ事実に反した意見だ、とか。自分が槍玉にあげられることはなくとも忘れたころにつるし上げられる、名も知らぬオタク。そんな光景を何年も目の当たりにしていれば嫌でも「ネットリテラシー」的なものが培われる。
気づけば10代は遥か昔。「俺チャンってばこんな激しい思想持っててヤバいっすよね?w」みたいな顕示欲も鳴りを潜め、「いらん事言わんとこ……」で飲み込んだつぶやきがどれだけあっただろうか。
今もしょうもないツイートだけは続けているが、もっと俺の全力のユーモア、センス、そういった恥ずかしいものをこっそり書くスペースがあってもいいんじゃないのか。すっかり内面化されたインターネットの枷を取り払う時間も必要なんじゃないか。
要するにスリルを求めている。思想の露出狂だ。しかもめちゃくちゃしょうもない思想の。粗思想。でも露出したい。ちょうどいい塩梅で露出したい欲求がある。俺はしょうもない思想の露出狂になります。ここで。
読まないでほしいけど、読んでほしいです。
しずかなインターネット、よろしくおねがいします。