自分が書くものに傷、痣、筋肉痛って属性(暗喩含め)がよく出てくることに気付いた。それが好きなんだと思い、少し深ぼってみた。
これらの属性って青春の部分を所持していないですか。
昨日の楽しかった思い出、いつ付いたか分からない傷、駆け回って知らないうちに付いた傷、そんなものが自分の身体にふと付いてるのを見ると嬉しくなる。靴や服が泥なり草の切った汁なりで汚れていると嬉しくなる。経験のないスノボに友人と行き、転びまくって全身を殴打して翌日は全身筋肉痛等々。学生の頃とか傷だらけだったと思うんだけど、年を取るたびにそれほど身体に目立った傷が付くなんて事は無くなると思うんです。地に足つけて安心で盤石。大人になって尚挑戦できるなにかがあったり、大人になって尚挑戦をしている自分を俯瞰できてそれに併発する傷があると嬉しい。因果を左右からぎゅっと縮めてしまえば挑戦⇔傷の関係がある気がして、自分に少し勇気を与えてくれるんだと思います。危険な身に自らを晒さないと付かない気がする、傷。
友人と街へ遊びに行き、待ち合わせだの休憩がてらだの時間合わせのために書店を活用することが増えた。そこで何か本を一冊買ってしまえば、その日の楽しかった思い出をその本にエンチャすることができるからだ。その本を読んでいる時にふとその日を思い出したり、ああこれはあの時に買ったんだったななどと思い出すことができる。イベント会場で手にした同人小説なんてものは私にとって想い出でしかない。想い出を一つの物的有形として内包できるのがこういった同人小説であったり、傷だった。
もう一つ傷に着目すると、傷はいずれ治る。いつの間にか付いていていつの間にか消えている傷。もう形も思い出せない。同じ形の傷は二度とできない。あいつは礼も挨拶もなく去っていく。昨日の楽しかった思い出も、転んで笑ってくれた友人も、傷と共にいずれ消えているかも。真っ白い新品のシャツを着て廃墟に潜る。泥濘を踏み荒らす。有刺鉄線に衣服を引掛けてみる。帰りは深夜のファミレスとかに寄って普通の料理をたべる。文明の味を感じる。普段享受していた日頃生きる社会の如何に素晴らしいさまを理解できる。服は汚れほつれている。身体にはまた傷が付いている。