何かに所属するって、一つの視点からしか物事が見えなくなってしまわないか? そういう意味で私はなにかを「推す」ことやファンになるということが苦手だ。リスペクトは欠かさず、であるからこそ適切な距離でいたい。盲信的・盲目的になることへの恐怖が根本にある。これは本当に恋愛が向いていない人間の言い草である。
人生設計とかせずにその場のノリで全て決めた方が幸せだという持論がある。(これに関しては世の中のすごい人達が散々議論してきた割と頻出な事項で複数解があるため何が正しい・間違ってるの話ではない)こういう人間の対極が「復讐鬼」「刑事」「警察」タイプだ。この属性は自分や自分の所属の正当性を疑わず、脇目も振らずに道を行ける。行動理由が機械的だからこそ一貫性がありキャラクターとしての側面が強く、刑事モノの作品がいつの時代も愛される理由だと思っている。
逆をいうと、人間味が無い。この、人間味が無い≒キャラクター性というものが私はあまり得意ではない。上にあげるタイプ以外の、例えば一般人でこれなら無機質な舞台装置と感じてしまう。そんなにみんな人間強度高いか? 人間、何も考えてないやつなんていない。掘り下げれば絶対面白い話の一つや二つはある。人間は色々な葛藤や不満や鬱屈とした矛盾を抱えていた方が面白い(本音)。そのせっかく面白い部分を無下にしたくない。すべてが理論で説明できたら文学は要らないだろう。
上にあげたキャラクター性の強い人たちは、「過去に家族を殺されている」「正義面を振りかざして他人に暴力をふるいたかっただけ」「当時はお金欲しさに職についただけで別になんでもよかった」など、そういうホワイダニットか本音をブチまけていてほしい(それが許される悪役なんて一番の花形だ)。面接の舌のような詭弁だけで振る舞われてもそんなわけねーだろになってしまう。いやごめん、これは多分俺が正義面した人間が嫌いなだけだわ。
・『ア羊夢見?』では殺し屋である主人公がアンドロイドを始末していく上で自らのアイデンティティ(仕事)に疑問を感じ、ドツボにハマっていく様が描かれる。自分の無謬性を信じて疑わない人間がどんどん自らの立場を疑問視していくんだ、たまんねえよな。
・『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』の悪役の「ミステリオ」が一番すきな悪役かも知らん。超常的なアクション戦闘をするMARVELシリーズの中でも、こいつは大ボスの癖に実は何の能力も持っていない。ビームとかなんも出せない。ひたすら人間臭い「口先」「ホログラム」「マッチポンプ」「懐柔」という武器で戦う。全身が「嘘」で出来ているのだ。こいつは死の直前にも主人公の悪評(嘘)を流布し、死んでなお禍根を残す。最悪。悪役として最高。おまけにビジュアルもいい。
・『インフィニティ・プール』を見て、作者の自我が出まくっている、むしろ自我しかなかったことに驚いた。『ボーはおそれている』とか、最近のこういったものって許されるんだなという意外性があった。
純文学って、何?(綾波)人間を描いたものなのかな。三島由紀夫とか、夢野久作とか。(そもそも夢野久作はジャンルが何かわからないのが定説だと思っている。うるせえよなぁ!?ジャンルとかなあ!?どうでもインド!って感じ)私の中で読書といえば主観・心情ベースで語られるものという偏見がある。振り返ってみればそういうものしか読んでこなかった。友人にゴリゴリの数学科出身のやつがいて、彼は参考書とかのハイパー秩序立った理論文章しか読めないと話していて、めっちゃ納得できた。俺絶対右脳タイプだ。MBTI診断?もICBMだったし。現に取り留めのない駄文を書いてるし。着地点消えてるし。深夜02:47だし。レタス食べてるし…