人生の振り返り

じんらいむ
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田舎の人間関係というのはなかなか、切っても切れないほどに距離が近くて、なんだか楽しいようなめんどくさいような、趣味の合わない人間に対して愛想笑いだけが上手くなる幼少期だった。人付き合いがあるのはまだいいのだけど。それとは別に家の人間のご機嫌も取らないといけない、虫の居所が悪い時は引っ叩かれたり、蔵に閉じ込められたり。家から閉め出されては、鞄を足場に蔵を脱出して、鍵の空いている窓を調べて家に入って家族に驚かれたり、アレはアレで面白かった。ざまあみろ うまいもんだろ

そんなこんなで、めんどくさい友人関係とか家族の絆笑に見切りをつけて自由を感じ始めたのが就職してから病むまでの期間。楽しかったなあ、一人暮らし、自分の好きなご飯が食べられて、一人でケーキが食べられる、誰にもとられない!まあそれもそのうち主食がストロングゼロとさとうのごはんになったんですけど。

いい子でそこそこ仕事が出来たので見事にめんどくさい仕事がまわってきたり、1ヶ月と聞いていた出張が半年に伸びたり、睡眠障害と幻覚と合わない薬で病み、これが精神の地獄か〜!というある程度の自分の底というものを知った。今はいい創作の栄養になったと思って、まあまあいい経験だったんじゃなかろうか。強制的に実家に戻されて猫暮らしに

その頃かな、心を病むと自分を理解していると感じた人間に対してのガバさが発現するのか、金を貸して飛ばれました。厳密に言うと貸した相手が浮気相手に又貸しして、そいつが飛んだんですけど。カス。あ〜、これが噂に聞く都合のいい人間、私なのかと。「お前はもう少し警戒心を持ったほうがいい」と貸した人間に言われ、私は貴女だったから秘密を守って貸したんだけどな…と、まあきっちり回収はしたけど。その後にその人は人生を辞めたので、本当に墓場まで持ってくと思わなかったな。

なにもうまくいかないな、今までうまくいったことなんてあったっけ?ないけどまあ生きてればそのうち。奇跡は信じ続けた人間にしか訪れないといいますからね。

ここまでで自分に根付いた教訓というのが、期待しないという事。なぜ人は人に腹を立てるのか、期待を裏切られたからというのが多い、気がする。ちょっとくらいはしてもいいと思うけど、それは自分が信用を置いている人間のみに発動させる、それが甘えられる人間。あっちこっちに期待して絶望するくらいならしない方がいいし、貴重な甘えられる人材がいるなら大事にすべき。

親にさえ甘えられなかったので、甘え方が分からずギクシャクしがちだけど、今つるでくれてる所謂相方というもの、親より自分を理解してくれてる生き物っているんだなぁと毎度関心してしまう。甘えられると同時に依存してしまいがちなので、もっと自分の事を自分で甘やかせるようになろうと最近頑張っている。

出会いはff14だけど今はお互いのベクトルが違うので、前ほどずっと一緒というわけではない。私は絵を描いたり相方はドラマ追ったり、でも変わらずつるんでくれているので感謝している。君になら裏切られてもいいとは思っているよ。