以前、美術館で看視として働いていたことがある。作品の横に立って、観覧者が作品に触ったりしないか見張っている黒服、あれである。
その時の展示は海外でも名の通ったアーティストで、外国からのお客様もたくさん来場していた。
外国のお客様というのは比較的物怖じしないというか、英語が通じなそうでもガンガン話しかけてくる人がわりといる。そして美術館なんぞで働いていても、英語が堪能な日本人というのは少ない。わたしとて中学英語にうぶ毛が生えたくらいの英語力である。
そんな中、おそらくアメリカ人であろう年配のご婦人が作品を指さしながらわたしに英語で喋りかけてきた。
「あの突起は何?指かなにか?」
彼女が指差す先には、布でできた無数の柔らかな突起物に覆われた有名な立体作品があった。
キャプションはほとんど日本語で書かれており(たしかタイトルと素材の説明などは英語表記もあった気がする。今思えば不親切だ)、館内に数か所置かれたQRコードを読み取れば各言語でも案内があるのだが、それを案内できる英語力はわたしにはなかった。
プリーズジャストウェイト、と言ってキャプションを読んでみた。
「……に取り付けられた無数の男根状の突起物が……」
男根、えっ、ちん◯んってこと?
アーティストの傾向はわかっていたので特に驚きはしなかったが、え、男根状の突起物…男根て英語で何…?
待ち構えていたご婦人に、ちょっと声を落としてこう耳打ちした。
「あー…ペニス、」
わたしのサムライアクセント(日本人的発音)では伝わらなかったようで最初はきょとんとしていたのだが、突然
「a penis!!?!?!?」
と、水を理解したヘレン・ケラーのようにご婦人が叫んだ。きちんとしたネイティブの発音で。このとき初めて、ペニスではなく「ピーナス」が正しい発音だと知った。(興味のある方はGoogle翻訳で聞いてみてほしい)
あまりに大音量だったためにわたしはシーッシーッというジェスチャーをし、ご婦人もあわてて自身の口を押さえた。しばし目と目で笑い合う。
そしてあらためて作品を見てwow…とちょっとにやけたあと「That's spectacular(素晴らしい作品)」と厳かな顔で深くうなずいた。
そのあともご婦人はなにかとわたしに尋ねてきて(奇跡的に答えられる範囲のことだった)最後に持っていた目録の用紙を差し出してこう言った。
「ここに日本語でピーナスって書いてほしい」
まじで…???と思ったが、まあ旅の思い出になれば…と思い直し、ご希望どおり「ペニス」と書いた。
あのご婦人、お元気でいらっしゃるだろうか。