最近パレスチナのニュースをSNSで見ているとたくさんのご遺体の写真が流れてくる。
そのすべてがもちろんなにも手を施していない、亡くなったそのままの姿で、ご家族が泣き叫んでいる姿に胸が掻き乱される。
それでふと、恩師が亡くなったときのことを思い出した。
わたしが恩師の訃報を友人から受け取ったのは、某バンドの夏フェスを最高に楽しんでいるときだった。
買い物かトイレかに出かけた友人を待ちながら電話でその話を聞いた瞬間、あんなに騒がしかった周囲の音が遠くなったのを憶えている。
それでも、葬儀に行くまでは半ば信じられなかった。
知り合ったときに先生はすでにシニア世代だったし、その後ご病気もされていたようだからなんの不思議もないのだけど、あの先生が亡くなったなんて、まるで信じられなかった。
わたしは学生時代、演劇を専攻していて、先生は某老舗劇団の演出家で我が校に講師として来ていた。
現代人が失った貪欲さや考え方向き合い方を先生の姿勢から教わった。友人と一緒に先輩たちの稽古場にも顔を出して、孫のようにかわいがってもらった。理解できない肌感覚を、解ろうとする者には懇懇と教えてくれた。
しかし先生から教わった諸々をうまく活かすことができず、わたしは結局食えずに芝居を辞めた。
葬儀会場に着くと、見知った顔がそこかしこで泣き崩れていた。久々の再開を言葉少なにやり取りして中に入る。
数年ぶりに会った先生はとても小さくなって、好々爺ともいうべき柔和な死に化粧を施されていた。
幸せそうな死に顔。でもそれは、わたしの知っている先生ではなかった。
意思が強くて、聡明で、はにかみ屋で、チャーミングな先生はもうそこにはいなかった。
それを悟って、皆とともに泣いた。