かつてホームステイしていた家のお母さんは、「錆(さび)恐怖症」だった。家の中で錆びているもの・場所を見つけると気分が悪くなるらしい。
彼女の気持ちを想像するのは難しいが、この世には自分が想像できないような〇〇恐怖症(〇〇フォビア)が溢れていることを22歳の私は学んだ。
日本語版Wikipediaで「恐怖症の一覧」というページを覗いてみると、224もの恐怖症が見つかった。ただし、英語版のページしかないものや、名前だけでページがないものもかなり多い。ちなみに、錆恐怖症はなかった。
よく知られている恐怖症としては、高所恐怖症や閉所恐怖症などがある。最近、(個人的に)認知度が上がってきたと思うのはトライポフォビア、集合体恐怖症である。
穴や斑点がいっぱい集まっている状態や模様が気持ち悪いという話は結構聞く。私はカルピスの川から生まれた妖精なので、白と青のドットが大好きなのだが、トライポフォビアの友人と会う時は念のため、そういう服を着ないようにしている。草間彌生展とかにも誘わないようにしている。
また、2019年の映画「ブラックパンサー」は本当に素晴らしい作品で、周りの人にも薦めまくったが、マイケル・B・ジョーダン演じるキルモンガーの身体にはトライポフォビアの人が気絶しそうな模様があるので、薦める際は必ず「トライポフォビアじゃなければオススメ」という一言を添えるようにした。
こういうメジャーな恐怖症であれば、「私〇〇恐怖症なんだよね」の一言で周りがすんなり納得してくれる。ジェットコースターに乗ろうと誘われても「ごめん、高所恐怖症だから」と言えば、たいていの人は理解を示し、無理やりジェットコースターに乗せたりしないだろう。
(そういえば昔「乗り物があまり好きじゃない」という夫をUSJで強引にスペース・ファンタジー・ザ・ライドに乗せたことがあったが、アトラクションから降りた夫はライムグリーン色の顔で一言も喋らなくなってしまった。本当に申し訳ないことをしたと思う。)
しかし、あまり認知されていない恐怖症に関しては、なかなか信じてもらえないことがあるのではないだろうか。場合によっては冗談だと思われたり、笑われたりすることがあるかもしれない。
Wikipediaの恐怖症一覧の中に「ヘソ恐怖症(Omphalophobia)」というのを見つけた。ヘソとはあのお腹の真ん中にある、あれである。
英語版Wikipediaにも記事はなかったが、healthlineという健康系のウェブメディアにヘソ恐怖症の記事があった。
The phobia might involve touching or seeing your own belly button, other people’s, or both.
[拙訳]この恐怖症は、自分や他人のおへそを触ったり見たりすることなどに伴って起こります。
ヘソ恐怖症の人は、プールや温泉、更衣室でさぞ大変な思いをしていることだろう。しかし、この記事を読んだおかげで、今後もしヘソ恐怖症の人と会っても、驚いたり、疑ったりせずに済む。ヘソ恐怖症をはじめ、あまり知られていない恐怖症への理解が進むといいな。人から「〇〇が苦手・怖い」と言われた時には、疑ったり、笑ったり、軽く考えたりせずに、相手の望むようにしてあげようと思う。
ちなみに、私が持つフォビアもWikipediaの一覧にはなかった。
私は、通常カタカナで表記される「プリンター」「コンツェルト」「カルボナーラ」などの外来語がひらがなで表記されているのを見ると、たまらなく嫌悪感を抱いてしまう「外来語ひらがな表記恐怖症」である。
「ぷりんたあ」「こんつぇると」「かるぼなあら」
どつきまわすぞ。
これに関しては理由が全くわからない。ただ、字が読めるようになった頃から、この表記が死ぬほど嫌いだった。
カタカナの伸ばし棒「ー」を母音に置き換えるのもイラつくし、小さい「ぁ」「ぃ」「ぅ」「ぇ」「ぉ」など反吐が出る。
過激すぎる。本来、やさしいニュアンスを出すために使われることが多いひらがな表記で、こんなにも怒りがこみ上げてくるなんて、自分が怖い。
当然、こんな気持ちは人に理解してもらえないだろうと思って、誰にも話したことはない。
唯一、「ちょっと近いな」と思った話がある。学生時代、隣の席に座っていた友人は両親のうち片方が外国の人で、本人は苗字も名前もカタカナだった。
友人曰く、幼稚園の頃、持ち物に書かれる名前がすべてひらがなだったことがめちゃくちゃ気持ち悪かったらしい。
仮にマリー・ジョーンズという名前だとすると「まりい・じょおんず」と書かれていたというのだ。
すごく、わかるぞ!
私は思わず自分のフォビアについても告白しようとしたが、その人の場合は自分の名前の表記に関することだから、私と事情が違うかも……唯一の希望の光を失いたくなくて、私は口をつぐんだ。
別に他人に理解されなくても、「らあめん」と書かれた看板を睨みつけながらひっそりと生きていけばいいと思っていた。だが、しかし、成人してから困るようになったことが二つある。
一つは、仕事である。私は日本語を非母語話者に教える仕事をしている。初級者であれば、まずひらがなを覚え、その後にカタカナを習う。文字数が多いので、個人差はあるものの、覚えるのには時間がかかる。ひらがなが読めるようになった学習者の練習教材に、未習であるカタカナが登場すると、そこにはひらがなでルビが振られている。
「こんぴゅうたあ」「すうぇえでん」「じいんず」
や、やめろーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!
正直、自分の受け持っている学習者には一刻も早くカタカナを覚えてもらいたい。自作のプリントの中のカタカナにひらがなルビを振るのが何よりも辛いのだ。
二つ目は、寄付である。25歳を過ぎてから、ボランティア団体や支援団体、サポートグループにめちゃくちゃ少額ながら寄付をする機会が増えた。
しかし、こうした団体に頻繁に出てくる単語がある。それは「ハート」である。その名前には被支援者の心に寄り添うというメッセージが込められていて、その理念や活動に共感して寄付をするのだが、優しさ故に(?)「はあと」と表記している団体が割と多い。
内閣府のNPO法人ポータルで検索したところ「はあと」を含む団体は22件、「はぁと」は9件ヒットした。(ちなみにカタカナの「ハート」は320件もあった。)
だからそれで何が困るのかというと、単に、寄付しようと思ってその団体のページを開くと名前を見てちょっと嫌だなって思うだけである。毎度自分に「この嫌悪感は外来語をひらがな表記していることに対して抱いているものであって、この団体の活動には共感しているじゃないか、気をしっかり持て!」と言い聞かせている。
ただ、前述のヘソ恐怖症の記事によると、恐怖症の身体的症状としては、口の渇き・震え・発汗・呼吸困難・胃のむかつき・吐き気・胸の圧迫感・心拍が速くなる、などがあるらしい。
私はカタカナ語のひらがな表記を見て心底嫌な気持ちになりこそすれ、体には何の症状も出ない。そんなものは「恐怖症」とは呼べないと言われるかもしれない。
別に私の気持ちを理解してほしいわけではない。ただ、特別な理由もなくそれが「なんかやだ」と感じる人がいるというだけである。
最後に、〇〇フォビアの 〇〇に、特定のグループの人々を指す言葉が入る場合、私は何の理解も共感も示さない。そこには「外国人」「同性愛」「トランスジェンダー」「イスラム教徒」などが入ることがある。
そのフォビアは本人が向き合い、克服すべき問題である。そのグループに属する人々が、嫌悪を示す連中に対して、理解をしてもらうために努力する義務は一切ない。
この記事はたんぶらあで書きました。
(作成日:2021年6月22日)