好きな人の話をしようぜ

先日、ランチに向かう途中、友人がおずおずとこんなことを尋ねてきた。

「最近Facebookによく”好きな人”って書いてるけど、そのさ、好きな人できたの?」

遠慮がちなその質問に、匂わせっぽい書き方をしたこちらが恥ずかしくなってしまった。

そう、私は「好きな人」って言葉が好きだ。響きがいいよね。

私は「好きな人」をロマンティックな意味以外でもしょっちゅう使う。家族も、友達も、恋人も、片想いの相手も、コーヒー好きの同僚も、さっきバス停で編み物をしていたかわいいおばあさんも、帽子を拾ってくれた見知らぬ紳士も、みんな私にとっては「好きな人」だ。

しかし、あまりにも「恋している相手」という意味が強すぎてこの「好きな人」というラブリーな言葉の可能性が奪われてしまっているのが残念でならない。

GARNET CROWの名曲『忘れ咲き』にはこんな一節がある。

愛だとか恋だなんて変わりゆくものじゃなく ただ好きでいる そんな風にずっとね 思っていれたら

AZUKI七(作詞の人)によると愛や恋なんてものは変わりゆくものらしい。なんとなくわかる。愛はなくなるし、恋は冷める。それにくらべて「ただ好きでいる」はより自然体で、無理がない。何より、今「好きである」というこの気持ちに愛だの恋だの勝手に名前つけるのはよしてくれよ、ということである。

性愛や恋愛にしばられずに、誰かを好きでいること、「好きな人」と呼べる人がいることは、なんとなく、居心地がいいんだ。はっきりした理由や形はなくても。

「好きな人」という言葉の美点は、その機能美にもある。この言葉、あたまに「私のことを」と足すだけで、好きの矢印がこちらに向かうのだ。

「私のことを好きな人」これまた、たまらない響きだ。

実のところ、私はけっこう人見知りなほうだと思う。ただし、人見知りであることを悟られまいと、なるべくフレンドリーで気さくな関西人を演じることがよくある。とても無理をしている。ヒリヒリするぜ。

他方、密かに初対面というシチュエーションには自信を持っている。

たとえば、10人の人に初めて出会うとする。

そうすると、たいてい、4人は私に興味がなくて、1人は激烈に私のことが苦手か嫌いだが、3人は話せば私の魅力に気づいて仲良くなれるし、1人は最初から私にほんのり好印象を抱いている。そして、残る1人は、こちらが何もしなくても、私のことを大好きになる、通称「前世からのファン」である。

私は人生で幾度となくこの「前世からのファン」に遭遇してきた。自惚だと思うだろうか。いや、本当に何もしなくても私のことを大好きになって、他の人にも私の良さを宣伝して回る人に何度も出会ってきたのだ。あの人たちは紛れもなく、遺伝子の中に私を好きになることが組み込まれた状態で生まれてきた、ナチュラル・ボーン・私のファンに違いない。

「前世からのファン」たちと話している時、相手が心の中で私の名前が書かれたうちわを振っているのが見える。ウィンクでもハートでも飛ばしてあげたい気持ちをぐっと堪え、あくまで平静を装ってファンたちと交流する。それがスターの務めなのだ。

一番ラッキーだったのは、「前世からのファン」が仕事の採用担当者だった時である。ちなみに、その日の私は集合場所を間違え、時間に遅刻し、破れたストッキングで面接に行った。しかも、鞄にはいつ付着したかわからない薄緑色のうんこがついていた。多分、鳥のフンだと思う。文字通りクソみたいなコンディションで受けたこの面接で、私は10人以上のライバルを蹴散らし、見事、好条件の仕事を得ることができた。

「会った瞬間、この人だと思った」

後に採用担当者はこう語った。

マイケル・ジャクソンのドキュメンタリー映画『This is it.』の冒頭で、マイケルのコンサートで踊ることが決まった若いダンサーが、興奮気味に、”This is it.(それがこれなんだ)”と語るシーンがあるが、採用担当のSさんの様子はまさにそんな感じだった。

本人曰く、人材派遣や人事の仕事を長年してきた自分の勘がそう言っていたらしい。いや、あなたはただ私のファンなだけですよ、前世からの。そう言いかけたが、ぐっと言葉を飲み込んだ。せっかく勝ち取った採用が、おかしな言動でパーになるのはごめんだ。

ともかく、こういう理由で、私は初対面というシチュエーションで「嫌われるかも」という心配をあまりしない。そもそも、嫌われても、何か嫌がらせや攻撃をされない限り、自分に関心のない人間なんていてもいなくても同じ、鞄についた緑のうんこより気にしなくていい存在だと思う。

むしろ話すことで自分の魅力に気づいてくれる人や、私に好印象を抱いている人、果てはペンライトを振り回して私の話をうんうんと聞いてくれる初対面の古参ヲタにも出会えるので、私は知らない人に会って、自分が好かれるのが楽しみでたまらない。

ここまで言い切れるのは、私自身も他者を大した理由なく好きになるからである。出会う人のうち半分くらいの人には興味を持てなかったり、なんだか苦手だなあと思ったりする。でも、残りの半分は話したらどんどん好きになっていくし、その中に、最初から理由もないのに、「なんかこの人好きやわあ」という人がいる。恐らく私が前世から応援し続けてきたスター、もとい、前世からの錦野旦なのだと思う。

そうして私は今日も「好きな人」を量産し続けている。いい感じだ。