ああ、自分はこのまま何も生み出さず、ろくに社会の役にも立たず死んでいくのかという虚しさがある。急に来るよね、ひとりの時に。
自分は圧倒的に消費することの方が多い。貿易なら赤字だ。毎日飲み食いをし、動画を見て、音楽を聴く。でも手元には何も残らない。食べ物や作品の感想を書き残したとしても、それは自分の手柄ではない。えらいのはそれを生み出した人たちだ。自分はそれに乗っかっているだけ。しょせんは客のたわごとなのだ。生み出す側とはフィールドが違う。
じゃあ、何を生み出せるのかって、汚い話、汚いものしか排出されないわけで。そんなものを後世に残されたところで、多大なるご迷惑をおかけするわけで、くさいのが漏れる前に流してしまう方が良い。間違えても道の真ん中に放置したりしてはいけないのだ。それを踏んでしまったらどうするんだ。うんこマンになってしまうじゃないか。(言っちゃったよ、遠回しに言ってたのに)
何かを生み出すって今更何を?陶芸、木工、手芸、絵画、作曲あるいは楽器演奏。クリエイティブなことはそれに伴う技能がいる。それを腰を据えて時間を割いてやる元気も勇気もない。もう何もない。そうっとしておいてほしい。(誰もなんも誘ってきてないけど。)
勝手にそわそわしてる癖に、何かをするのは嫌なのだ。
博物館や美術館に作品が残っている人はすごい。教科書に名前が載っていたり、何らかの世界記録を残していたり。でもそんな偉業を成し遂げるのは一握り。数億の粒の中の、ほんの少しの輝かしい人たちなのだ。特に何をするでもなく、ただ時だけが流れた凡人は、特に目新しいことのないまま、日常の中に埋もれていく。
ふと、人生を振り返るとき、何が思い浮かぶだろう。
冠婚葬祭、入学卒業、旅行、イベントへの参加などの節目や派手なイベントではない。(少なくとも自分は、緊張しいの小心者だから、本番に弱く良い思い出がない)
ごくごく平凡な場面。寒い日に暗いなか駅まで自転車こいでるときあるいは家への帰り道とか、ファミレスで何食べるか迷ってるときとか、待ち合わせで友達が来たときとか、友達ん家でゲームの対戦をしていて勝ったときとか。
何かすごい平凡で日常として埋もれそうな、そのときはまさか振り返った時に、そんなまぶしい輝きを放つ日常になるとは思いもしなかった瞬間なのだ。あぁ、あの時たのしかったな、しあわせだったんだなって、しみじみ思う。
だから、何も生み出さない自分も、いなくなったときに、まあいいやつだったよな、くらいには思ってもらえるかもしれない。派手なカリスマ性のある人間でなくても、ふと人生を振り返った時に、いい場面で一緒にいる人間でいられたらいいか。という感じで、のんびり生きていこうと思う。