鉛筆の音のみ響く夏初め
ギヤマンを記憶の器として包む
冷やかに赤鉛筆を置きにけり
秋の風花束に落つる涙かな
よく響く「はい」の返事や山眠る
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木曜日、寅子が穂高先生にブチ切れるシーンがあり、ネットでは様々な推測、考察を目にした。どれもそうなのだろうと思う。
命が尽きるぎりぎりまで法律家として生きた星先生を見てきたからこそ、穂高先生に対して、まだ戦えるだろう、一緒に戦ってくれよ、と寅子は憤ったのかもしれない、とも思った。
感謝して尊敬はしても許さない、それでいいんだと思う。子どもの頃から、謝られたら許そうね、と教育されがちだけど、謝るのは謝る側の都合、許すかどうかはまた別物、そうやってきちんと線を引かないと、被害者はいつまでも辛かったできごとや傷ついた感情を抱え込むことになり、加害者は「謝ったからもうおしまい」となってしまう。
今回の件は、寅子にとって、「雨滴」として歴史にも記録にも残らなかった友人たちや、会ったこともない女性たちのことを思うと、どうしても許せない、ここは引けない、という部分だったのだろうし、寅子一人の怒りではなかったのだろうと思う。