母の日やヤマザキのお皿は丈夫 / 五月ふみ
半年間だけ、神野紗希先生の俳句のお教室に通った。
わたしの場合、俳句の入り口になったのが「プレバト!」とエッセイ集『もう泣かない電気毛布は裏切らない』(神野紗希 日本経済新聞出版社 2019 のちに文春文庫にて文庫化)で、いちばん最初に買い求めた句集は神野先生の『すみれそよぐ』だった。神野先生が選者をされている投句先にも、二年ほど投句した。
師事しているわけではないが、神野先生とその句に出会っていなかったら俳句を始めていなかったかもしれない、と考えると、俳人としての産みの親は神野先生なのかもしれず、さんづけよりも「先生」とお呼びしたほうがしっくりくる。
掲句はその神野先生のお教室で投句した句。読み上げられると周囲からふふっと笑いが漏れたことを憶えている。
『すみれそよぐ』は結婚や出産といったできごとが句にされていて、ひとりの女性の自伝のようにも読め、表記も現代仮名遣いなので、初めて読む句集としてとっつきやすかった。
春氷薄し婚姻届ほど
汝にわれ樹に囀のある限り
つわり悪阻つわり山椒魚どろり
春光に真っ直ぐ射抜かれて破水
すみれそよぐ生後0日目の寝息
産み終えて涼しい切株の気持ち
冷麦をすすり保育所見つからず
梨ざらりいつより我に触れぬ指
愛なくば別れよ短夜の鏡
寒紅引け離婚届にくちづけよ
Tシャツの干し方愛の終わらせ方
君生まれ此の世にぎやか竜の玉
/ 神野紗希『すみれそよぐ』より引用
こうやって引いてみると、とっつきやすくても「簡単な句」はひとつもなくて、「ビビット」と言えば聞こえはよいが、誰かと暮らしていくうえで生じる感情が生々しく書かれており、ここまでさらけ出して書く勇気が果たして自分にあるだろうか、と思う(別にさらけ出さなくたっていいのだけど)。
『天の川銀河発電所』(佐藤文香 左右社 2017)で、佐藤文香は神野先生のことを「光自体を書くのも得意」と評し、「aikoが好きなら、まずは神野紗希を読むといい」とも書いている。『天の川銀河発電所』を読む前に『すみれそよぐ』を読んだはずだけど、十代の記憶にはいつも必ずaikoの曲が寄り添っていたくらいにはaikoが好きだったので、この説はかなり当たっていると勝手に信じている。
神野先生は、最近は季語を季語としてではなく、もっとフラットに使いたい、というようなことを何かで書かれていた覚えがあって、にこにこ優しい顔をしてとても難解なことに挑戦しているのだなと感じている。
もうひとつだけ、好きな句を。
ひかりからかたちへもどる独楽ひとつ / 神野紗希