本屋さんに行くとき、目的の本を探しにいくかなんとなく足を運ぶか、だいたいいつもこの二択。懇意の本屋さんの場合は、店主と世間話をしたいときもあるけど、今日はさいしょに挙げた理由だった。
あいにく目的の本は取り寄せしないとなくて、しかたなくぶらついてみる。エッセイ、小説、哲学、自己啓発、まんが辺りが定番コース。最近は絵本や児童書をみるときも。
この数年で私の読書志向はガラリと変わった。以前は大半が小説とまんがで、自己啓発やエッセイはどちらかというと苦手だった。誰かの考えや実践的ノウハウを垣間見ることで、その考えを押し付けられている気がしていた。ところがいまは、そんなエッセイや自己啓発や哲学を好んでよく読んでいる。自分の中で生まれている気持ちを表現したいけれどその言葉を持たないとき、あるいは、ほかの誰かの思考の深みに触れたいときが増えたからだと思う。「嬉しい」や「悲しい」という最低限の分類ではなく、もっと繊細に、もっと近しく、表したくなる感情を持っていると気づいたからだと思う。本は、そんな心の機微に触れられる存在だ。
本屋さんをぶらつくとき、自分の心の声に耳をすませているような気分になる。本のほうからなにかを訴えかけているのか、それとも私のなかの無意識が掴み取りにいっているのか分からないけど、いつからか、自分のなかのトピックを把握する一つの手段として、本屋に立ち寄っている気がする。
というのを今日改めて感じたわけだが、こういう類いの、まさに取り留めのないものを、InstagramやFacebookで発するのはなんだか重い気がするし、noteもなんだか違和感がある。ThreadsやXでは断片的な上に、感情と偏見と思考のぶつけ合いにしんどさを感じることもしばしばある。そんな感覚はあるものの、発信やリアルな対話を通した表現の場が以前より減って、さてどうしようと思っていたらこの媒体に出会った。今の自分は、「何事も、まずやってみる」が基本なので、それに倣ってまずはじめてみた次第。
堤防に腰かけて凪いだ海を見渡すような気持ちで、日々思うことをぽつぽつと書き残していくとしましょう。