寺と祓、ライブと音楽

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今日を一行で説明するとしたら、タイトルそのままの一日だった。どこでなにをしていたかわかりやすいが、それだけでは行間すらなくあまりにもつまらない。職場の報告書じゃあるまいし、こういうものは結果よりも過程が重要だよね〜ってことで一昨日振り2回目、また筆を取った。勢いそのままに感想を書きなぐっていこうと思う。あ、「祓」は「はらえ」と読むみたい。「はらい」じゃないんだ〜って勉強になった。

ざっくりしたタイムスケジュールは以下の通り。午前中は近所のお寺でお祓いとご祈祷を受け、昼食においしいと評判のお蕎麦をすすり、その足でライブ会場へと足を運んだ。今日の日程は2ヶ月前から予定を組んでいたのもあって、無駄のない完璧な流れだったと思う。

実行するかは別として、主語がデカいが日本人って不運が続くと「お祓いしよう」って感じの言葉が出てくることもあるだろう。まさに自分がそんな状況だったので、文化を体験できるいい機会でもあるしとお寺に向かった次第だ。

本堂に招き入れられ、用意された椅子に座ってしばらく。鏡のように磨きあげられた床板から冷えた空気が身体の芯へ伸びてきた頃、ご祈祷が始まった。腹の底に響くような太鼓の音(号鼓と言うらしい)から始まって、鈴の音が本堂の空気を満たす。神具の鈴は鳴らすと、消える間際に耳鳴りのような音がするのだと初めて知った。3月末と言えど、雨が降るこの日は春が少し遠く、空気は湿度を含み冷えている。だからこそ鈴の音がより深く響いたのかもしれない。決して不快な音ではなく、邪を切ってくれそうな凛とした鋭い音だったことはここに記しておく。刃物だとしたら、さぞかしよく切れただろう。

お祓いを受けると心身が清められたように感じるし、良いことをしたような気分にもなった。良いことをしたのはお坊さんであって、わたしではないのだけれど。目に見えてわかるものじゃないのに変化したように感じるのは、一種の暗示なのだろうか。言葉と一連の儀式によって、「今から変化が起きるよ〜!」と呼びかけられ、それに応えた結果だとしたら、これは遺伝子に刻み込まれた連綿と続く文化の証とも言えそう。自分じゃなくても、誰かに不運が続いたとき、「お祓いしたら?」とか「お祓い行こうよ」って会話が日常生活にするりと入り込んでくることを思えば、日本に根ざした文化なんだなと改めて実感してみたり。やはり自分は日本で生まれ、日本で育ち、日本で生活している純日本人である。

詳しく書くとお寺の宗派とかバレそうなのでこれ以上は割愛するが、音に関するものって生で聴くのが一番だと思い知った。罰当たりと言われるとそれまでだけど、日本の元祖ロックってルーツを辿ればこういうところに行き着くのかも。そう思ってしまうくらいには、素人ながらライブっぽさまで感じてしまった。お経とロックの相性が良いと言われると納得してしまいそうだ。

お祓いとご祈祷を終え、胸に余韻を抱えたまま、昼食にずっと行ってみたかったお蕎麦屋さんへ向かう。気持ち的に肉よりかは植物を食べた方が「それっぽい」気もしてて、精進料理の代わりに(……はならないだろうけど)おいしいお蕎麦を満喫した。

無難に一番人気と書いてあったものを注文し、つやつやのお蕎麦をすする。蕎麦皿の横には薬味の為だけに作られたであろう皿があり、しかもそれにはうずらの卵を置くためだけの穴が開けられていて謎の感動を覚えた。和風エッグスタンドやないか〜。

そんなこんなで胸に抱える余韻をひとつ増やし、本日のメインイベントへ向かう。開始時間の17時が待ち遠しいなんて、仕事の終業以外で久しく感じていない。会場へ向かう道すがら、バンドTシャツを着た人や首からタオルを下げてる人を見かけることが増え、テンションがじわじわと上がっていく。ここにいる人たちはみんな同志なんだと思った瞬間、ビックサイトに集うオタクたちを思い出した。根っからのオタクなので許して欲しい。

上がり続けるテンションとともに、緊張も走る。そもそも、わたしはライブと言われるものに行った経験がほとんどない。好きなアーティストはそれなりにいるが、一番音楽を聴いていた学生時代は海と山しかないド田舎暮らしだったため、ライブとご縁がなかった。そのせいか、大人になりそこそこの都会に暮らしているくせにライブとの心の距離はいまだ遠い。……話が逸れた。自発的に行きたい!!! と思ってチケットを取ったのは、実はこれが初めて。過去に1度だけ誘われてライブに行ったことがあるが、良くも悪くも狭い箱にぎゅうぎゅうにされながらのものだった。人酔い+酸欠での気分不良で途中から壁際に避難していたので、正直あまり記憶にない。周りの人が楽しそうで良かったな〜ってことだけは覚えている。そんな散々な結果だったこともあり、ちょっとだけライブに苦手意識を持っていた。だが、今回きれいさっぱり払拭されることとなる。

足を運んだのは、去年の8月に急転直下で沼に転がり落ちたバンド、GRAPEVINEのライブ。フォロワーさんの好きなバンドだったことがきっかけでもある。ハマってすぐにライブがあって、「わたしでもわかる高度な音楽……新参者が行くと失礼かもしれない……」と思って二の足を踏み、ライブに行かなかったことを後悔して約半年。念願のライブで生歌を聴けた喜びはひとしおだった。いろいろ言いたいことはあるのに、言葉にできない。そんな体験をしたのは久々のことで、消化するのに時間がかかった。オタク的に言うならば「ちょっと待って」だ。

音楽を聴かせるためだけにここへやってきたと思わせるシンプルなレイアウトには潔さに加え、渋いかっこよさを感じた。楽器と照明と絨毯のみの舞台は無駄なものを一切感じさせない。いくらわたしがここに書いても1mmも良さが伝わらない気がするが、歌も含め音が良い。本当に良い。これだけでライブに足を運んでよかったと思う。CDより生歌の方が上手い逆転現象しかなくて、好きな曲もいっぱい流れた。感極まって普通に泣いた。歳を取ると涙腺が弱くなるのは本当だったんだなあ。

AppleMusicに「はじめてのGRAPEVINE」があるからみんな聴いてくれ。……と言いつつ、アルバムで聴いた方が良さが伝わると思うので「sing」と「ALL THE LIGHT」とかどうだろう。どれがいいか迷ったら全曲聴こう。そう、8月のわたしのように。

音楽が良かったのはもちろん、びっくりするほど治安が良くて、最初に場所を取ったところから一歩も動かずに終わった。モッシュでもみくちゃにされることもなく、周囲の観客から足を踏まれることもない。純粋な音楽だけを楽しめた。なんだここは。理想郷か? あー良かった。本当に良かった。良すぎてなんて言っていいかわかんない。圧倒的な歌声と楽器の音色を全身に浴び、正しく音を楽しんだ2時間。目に焼き付けた舞台を回想してたせいか会場から家までの記憶がどうにも薄い。無事に帰宅できたし、良しとしておこうかな。

ベッドに入って目を閉じて、すごくよかったな……って寝落ちし、朝起きても余韻が続いている。有給を取った1ヶ月前のわたしに心の底から感謝した。多分仕事にならなかっただろうから。大人になって感情を揺さぶられる機会はそう多くない。余韻という名の魔法は、夜が空けても解けないでいた。雲の上を歩くような気分で心地がよくて、ベッドから起き上がらずに目を閉じた。ふわふわ、ふわふわ。

きっとわたしは何度も彼らの音楽を聴きに行くだろう。またこの余韻を味わえるのなら。

@gurugurunouzu
とあるオタクの自我の煮凝り