やる気スイッチのやうなもの

gyoson
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いつのまにか入っていて、いつのまにか切れている。

肩甲骨と肩甲骨の隙間の中間の、ある一点から指の腹ほど下にいった、骨までいかないけれど皮膚のすぐ裏でもない背肉のどこかにある、僕のスイッチを入切しているのは紛れもなく僕ではあるのだけれど、その入れ方も切り方も、いつまで経っても判然としてこないのです。

臍下丹田に力を入れる。うん。重いものは持てるけれど。

丁寧な生活。たまにはいいものだ。でもそういう性格じゃないみたい。

猫を吸う。おそらくこれは最も限りなく正解に近い行為だ。しかし些か鎮静作用が強すぎる。

ああすればやる気になる、こうすれば落ち込む。その因果は濃い霧の中に隠れている。時折手さぐりに掴み当てたりすることもあるけれど、気づけばどこかに落としてきてしまう。しかしこれら一連の、きりのない拾捨、オンオフ、賽の河原の童のごとき動態は、どうやら僕が一言では言い表したり定義することが難しい複雑な存在であることの証明でもあるような気がして、そんなに悪い気のしない悩みでもあったりします。

@gyoson
寝る前にこぼれる言葉を溜めておいて、あとで渇いたときに掬おうという魂胆です。