大学を卒業した。
美容院の予定の時刻に間に合わないなどの困難を乗り越えて、無事着付けを完了する(美容師さんへ ありがとうございます ぎょうざより)。上は成人式のときに着たものと同じ、富山の祖母が用意してくれた振袖で、下はレンタルの袴。トラディショナルな濃い紫。成人式で久々に会った同級生に開口一番「貫禄ある!」と言われて、 貫禄ないよりはあるほうがいいと思うけど20歳に対してそんな言う? と思ったことのあるわたしだが、たしかに和装をすると似合う。ある種の迫力が出る。そのことを美容院の鏡で再確認した。
ただ、似合うからといって、着る機会を増やす気にはなれない。振袖のときもそうだったが、かっちりとした正式な?和装というのは(わたしは全然知識がないので他の和装についてはなんともいえないのだが)信じられないぐらい腹と胸を締め上げるからだ。同意のもと他人の急所をこれほど締め上げるというのは、BDSM以外となると、現代日本であまりみられない行為だと思う。車で2時間弱、吐いたらどうしようという若干の危機感を抱きながら大学へ向かう。運転してくれてる父が食ってる桃のミンティアのにおいが脅威。こんなに締めるならもっと短い布で小さく作ったらどうでしょうか!!!!
予行にちょっと遅れて式場であるチャペルに入る。アカデミックガウンと角帽の着用を求められるのだが、振袖の袖とガウンの袖がなんかもうめっちゃくちゃにこんがらがっちゃってまともに着られず、ベロベロの状態で入った。角帽もサイズが合っているのかいないのか、常にずり落ち続ける。しかもチャペルのキャパが小さいから信じられないぐらいミチミチに詰まった状態で着席させられ、最後までふざけた大学だなと思った。
祈祷や祝辞などがあった。わりと良い話で、泣けた。祈祷で先生が、Pray to God, or to your higher power, or something you think you should pray to (うろ覚え)と言っていた。卒業生の呼名には、はいもしくはYesで答えるよう言われている。Yesで答えた人は4人ぐらいしかいなかった。呼名だけで卒業証書授与は行われないのに式が2時間もかかるのか……と思ったが、そのからくりはといえば「あらゆる発話を日本語と英語との両方で1回ずつ行うから時間がかかる」というもので、そういえばそうだったね。と思った。最後に、マジで全然歌ったことないし知らん校歌を斉唱した(マジで全然歌ったことないし知らんうえ、日本語歌詞で歌う人と英語歌詞で歌う人が混在しているため余計に「今どこ歌ってますか?」状態になった)。
その後、ばか山(というありえない名前のスポット)(あほ山もある)で知人たちと角帽を投げたりしていたら袴が信じられないほど草まみれになった。
いろいろな人と写真を撮った。友だちや知人がFANUCにイスラエルへの武器輸出の停止を求める署名のコードを配っていて、頼もしかった。サークルの後輩たちが有志で何人か集まって任意の卒業生に贈る花束が、わたしにだけなくて、サラッと書いておくけどマジで嘘かと思った。今でも嘘かと思っている。わたしもだけどあなたたちも気まずくならない?それは……。
とはいえ、ピン写真を含め、いい写真をいっぱい撮れて良かった。わたしは入学前よりやわらかくなり、同時に鮮烈にかたくなになり、自分の動かし方を自由に選べる人になった。ぎこちない笑顔以外の表情をカメラの前で見せられるようになった。そのことだけでも、多くを語っているように思う。
大学生というもっともふざけた身分を失って何でもない人になった。これから自然と疎遠になっていく人たちとか、薄れていく思い出もたぶんあって、それでもきらめいていたものが何か残ればいいと思う。人生はこれからなので、あまり気負って大々的な区切りをつける必要もない。大学でやり残したことは、今後いつでも機を伺ってぼちぼちやっていけばいいのである。