3月5日

gyouzamochi
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溜め続けていたドラマ版「作りたい女と食べたい女」の録画をすこしずつ観る。あれよあれよという間に最終話になっていた。わたしはまだ追いついていない。がんばって26話ぐらいまで観た。ささやかな細部にかわいらしさや苦しみが宿ったドラマで良い。

午後から5時間アルバイト。土日祝の8時間勤務(+1時間休憩)がだるすぎるあまり、5時間なら一瞬やろ!というおかしいマインドになってきている。来客が少ないときは暇で、時間の進みが遅く、ややつらいが、担当している枠のお客さんが来ると、一組あたりの接客であっというまに1時間半とか2時間飛ぶので、ある意味楽。楽?

スーツ、ブラウス、パンプス、鞄、などなど一式すべて品番とサイズまで決め、補正を測り、見積もりまで出したところでお母さまに「いったん持ち帰って検討します」と言われてしまった。高い買い物なので、当たり前といえば当たり前だが、できればその日のうちにわたしの管轄で買っちゃってほしかったのでちょっと悲しい。それとは別に、お母さまがずっと大真顔で若干やりづらかった。そういうこともある。わたしは最近パンプスでバシバシ走れるようになってきた。人はそんなことができるようにならなくてもいい。

帰宅後、入浴や食事を済ませたら勉強をしようと思っていたけど、何もしたくなくてスマホをいじりつづけて時間が経つ。なんとなくぶちぶちと暗い気持ちになっている。なぜそういう気持ちなのかわからない。いろいろな人に嫌われている、もしくは興味や愛着をなくされているという考えがここしばらく居ついている。実際ある程度はそうだと思う。そうなのでしょうか。どうなのでしょうか?(知らん。)

この間ケーキ屋さんでフォロワーさんが撮ってくださったわたしの写真を気に入ったので、インスタのプロフィール画像にしてみる(ゲロ事件はあったがそれはそれ、写真がきれいなので使うという、たくましい精神)。いつもは犬の写真を使っているのだが、LINEとかインスタのアイコンに自然な他撮り写真を使う人に憧れがあり、できればわたしも自分の姿を気負わずアイコンにできるようになりたいという謎の志がある。

ただ、写真が悪いわけでも撮ってくださった方が悪いわけでも断じてなく、本当に良い写真なのだが、わたし側の問題として、「おすまししすぎ」という点がある。SNSのアイコンにするには「カメラを向けられてポーズをとりました」という感じよりも、「もともと笑っていたところに友達がノリでカメラを向けました」みたいな、なんならブレているぐらいのナチュラル感が望ましい気がする。ただ、わたしは気合いを入れないと素敵な笑顔を作れないので、当分は無理そうだ。あと関係ないけどわたしが写真に撮られるときに作る表情、姿勢、それと顔そのもの、メイク、髪型、これらがすべて母親に似ているため、くだんの写真をプロフィール画像にすると、母親のインスタのプロフィール画像と酷使したものになるのが壮絶である。