12月30日

gyouzamochi
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昨日は卒論を書いていた。だいたいの中身は12月頭に書き終えていたんだけれど(かなり早い)、日本語で要約をつけなきゃいけないことを思いだしたり、目次をつける必要があったりしてあわてて作業していた。英語の語数と日本語の字数は同じ内容を書くとだいたい2:1になるらしいんだけど(諸説あり)、8000語弱の英文を要約して6000字の日本語になったのは、それは、要約といえるのか?? それを4時間ぐらいで一気に書くのも変だし。全部変だよ。

日本語要約のスクショはこれ。たぶんそのうち削除するので、リンクに飛べなくなっていたらそういうことだ。

今日、30日は大掃除にいそしんだ。年の瀬は毎日ちまちまこまごま掃除があって、母親が毎日がんばっているとこちらも部屋にこもるわけにはいかないし、掃除以外のものごとがあまり進まない。最近たくさん掃除機をかける。かけてもかけても鬼のように犬の毛が散らばって綿ぼこり状になる。またかける。

毎年のことだが、年末年始などの休暇は父親が日中から家にいるので、父親と母親の間でトラブルが発生し、負の感情がわが家にあふれる。昨日もたくさんの、人間として、また人のパートナーや親としてどうかと思う暴言を聞かされた。わたしの見解では9割父親がどうかしている。彼らの不機嫌や父親の非常に主体的で積極的な嫌がらせの尻拭いをするのは常にわたしだから、さすがに飽きて、最近はケア役に徹する気もなくなり親の間の伝書鳩にされたり板挟みにされるたび「めんどくさいんだよ」と誰に言うでもなく叫んだりしている。それでぶん殴られたりしない点は恵まれているんだろうがもううんざりである。12年はこんなことをやってるんだし、「めんどくさいんだよ」ぐらい許されて当然だと思う。いちいち書かないがほかにもいろんなことをやらされてきた半生である。ちなみに、こういう苦痛を吐露する文章においても逐一自分の特権性を謙虚に指摘しなければならない(そうでないと自他に責められる)ように感じる癖をなくしたい。

母親はどんなときでも日常を楽しく送ろうといういじらしい決意を忘れない。母と共同作業で、門に松の枝をくくりつける。母は怖い怖いといいながらなまこを切る(わたしは食べない キモいから)。今年のかがみもちはすこし小さく、かわいい。去年のかがみもちは正月にはバリバリに割れていてどうしようもなくて爆笑した思い出がある。今年のかがみもちも、袋から出して数時間でひびが入り始めて、危機感をおぼえた。調べたら甲類の焼酎を塗るといいらしいけど、家にないよ。

時間はあるのに、創作活動がもう3週間できていないし、なんとなく気力がない。べつにしなくたって、幸せならいいのだ。でもこのまましばらく何もできないように感じる。いろいろなことに諦めの気持ちがある。