初めて鹿児島へ行く

gyugyu
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こんにちは。GMOペパボのデザイン部に所属しているgyugyuです。デザイン部という所属ゆえにデザイナーと思われがちですがエンジニアです。

この記事はGMOペパボ鹿児島オフィス Advent Calendar 2023の19日目の記事ですが、今これを書いているのは12月23日です。すいません。

さて、僕はこれまでの人生において、日本の47都道府県のうちほとんどに行ったことがあるのですが、南九州(具体的には熊本、宮崎、鹿児島)だけは未踏でした。昨今のあれこれで海外旅行には行きづらい状態が続き、2022年ごろから国内旅行の行き先を探している中で、残り少ない未踏の県を埋めてみようと考えました。その中でも鹿児島県はペパボの鹿児島オフィスがあり、旅行のついでに鹿児島オフィスの様子を見てみようと思い、2022年11月に鹿児島県に初上陸したのでした。

アイコンのある街、鹿児島

訪問する前の鹿児島の主なイメージは「西郷どん」に代表されるような近代日本史に登場する存在と、時折噴煙をあげて報道される桜島、ステロタイプ的なイメージで娯楽作品に描かれがちな島津家や薩摩藩でした。

訪れてみるとまず気づいたことが桜島の存在は生活にかなり影響があるようだということで、桜島は鹿児島県の真ん中にあるという地理的な象徴であるだけでなく、その存在が生活に結びついていることが伺えました。景勝地は日本の各都道府県に多かれ少なかれありますが、桜島は影響範囲の広さや多面性ゆえにアイコニックな存在となっていると感じられました。なにより鹿児島市中心地からでも10分も車に乗れば姶良カルデラに到達し桜島の偉容を目にすることができるわけで、無視をして生きていくというのが難しいとさえ言えます。

同じように島津家、というより島津家家紋の丸に十字が、真似やすさゆえか各所で繰り返し使われていることに驚きました。鹿児島市章もそうですし、街を歩けば学習塾や居酒屋のロゴとしても登場します。シンプルで真似しやすい他の家紋もご当地に行けば目にすることはありましたが、これほどの頻度で出会うことはありませんでした。

ハイカラな街、鹿児島

その島津家ですが、薩摩藩の武力を高めるとともに学問も奨励したと言われています。日本の城下町といわれた場所にはその当時の機能に基づいてつけられた地名(例:鍛冶町、呉服町、大工町)がついていることが多いですが、鹿児島には天文館という地名が残っていて、江戸時代の天文なので暦の編纂をしていたようです。洒落た名前ですね。

現在では繁華街や夜の街のようなエリアとなっていますが、当時の文武両道的なスタンスが幕末には海外の学問や技術の積極的な受容や、雄藩としての活躍に結びついたと実感することができるでしょう。江戸時代末期に開港地となった横浜や神戸が舶来文化の影響を受けハイカラな街となりましたが、鹿児島も同様に舶来文化の気配が感じられます。そもそも江戸時代以前に鉄砲が伝来した種子島も現在では鹿児島県なのです。

農産物、海産物、畜産物全部ある街、鹿児島(あと温泉も)

土地の多くが水捌けの良い火山灰で構成されていたために、稲作よりも適していたサツマイモ栽培や畜産を江戸時代ごろより進めてきたことが、江戸時代の飢饉でも持続的に鹿児島藩を成長させることができたようです。

これは現在のバラエティに富む鹿児島の食に繋がっているようです。有名なのは黒豚ですが、今では黒牛や黒さつま鶏と牛豚鶏全てブランド化しています(ここまでの写真がモノクロなのはこの黒にかかっています)し、鹿児島市中心部から海まではすぐそばですしカツオ漁で有名な枕崎もそう遠くはありません。

鹿児島市から枕崎に向かう途中には砂蒸し風呂で有名な指宿もあり、温泉地でありながら活きのいい海産物が楽しめるという風になっています。もちろん豚骨ラーメン文化圏なのでB級グルメもバッチリです。はらへった

まとめ

鹿児島には、旅行先として他の有名観光地と肩を並べられるぐらいのポテンシャルを持っているという話でした。また行きたいですね。