いつも心が落ち込むときは自分の中の自分と対話を重ねる。
何が引っ掛かっているのか、何が辛かったのか、自分でも認識できてないレベルの些細なことも心に居るもう1人の自分には大きな出来事なのだ。
昔は顔をあまり見せてくれなかった。それもそうだ、私は私を否定し続けた。心の住人を拒絶し罵倒した。だから本音を見せてくれなかった。
少しずつ自分に優しくできるよう心がけた。私の心に住んでいた自分の姿が幼い事にようやく気づいた。傷を負った子供時代の私がそのまま住んでいた、しかも何人も。
少しずつ自分と通じ合う事ができてきた。
わかった事が沢山あって驚いた。同時にまだ顔を見せてくれてない自分も何人も居るんだろうと思った。
メンタルが不調の時がありのままの自分に近い気がする。何のペルソナも被っていないありのままの私。その私が出すSOSをなるべく拾えるように私は私に優しくする。
寝込んでもいい、一日中パジャマでも大丈夫、ゆっくり休んでいいんだよって。
自分の中の自分と対話を続けると、複雑に絡み合った糸が突然スルッと解けるように何かが閃く瞬間が来る。
自分でも認知していなかった心の傷が露わになって、それに対してどう向き合うか。
それが腑に落ちた時、また元気になれる。
小さな私の心の住人はまた扉の向こうに引っ込む。
過去の記憶を引っ張り出して傷口をまた晒すのは辛い。弄りすぎて時々化膿する。
だけど空気に晒すことで生傷は乾き、瘡蓋になる。剥がしてまた生傷に戻る事もあるが、そのまま自然に取れるまで待てるときもある。そして新しい皮膚が出来上がり昔より強くなった部分もある、弱くなった部分も、もちろん。
その繰り返しだ、私にはまだ治療していない生傷が沢山あるし、何年も剥がれていない瘡蓋も沢山ある。大半は放置しすぎて化膿してしまっている。おまけに自分で塩を塗り込み傷口を広げてさえいた。
それらを今1つずつ治療している。
時間はかかると思う、だけど確実に今より良くなる。
大丈夫、自分に優しくなり始めたんだから大丈夫だよ、きっと良くなる。大丈夫。