冬が終わり、春が来たことを嫌でも感じさせられる。
雪解けの道路から顔を出す細かい砂利が時折吹く強い風に煽られて舞う
埃っぽくてパサついた空気。
外から家に帰ると、髪の毛が静電気のような生臭さを帯びていることに気づく。毛先は今にもギシギシと音を立てそうだ。
私はこのにおいを「外のにおい」と呼ぶ
埃のような、静電気のような、燻んだにおい。これは北風の吹く秋の真ん中と、春の入り口に嗅ぐにおいだ。
冬の終わり、春の訪れ。少し浮き足立つ街で、色々な感情が入り混じった空気はグレーがかったピンクか、ブルーか。
日が長くなり、太陽の出ている時間が増えたからか、体はなんとなく喜んでいるような気がする。
換気のために時折、部屋中の窓を開ける。入り込む風は角がとれてほんのり丸みを帯びたような心地の良い冷気である。
外の埃っぽい空気で部屋が満たされる。国道5号線に程近い私のアパートは家の中にいてもいつも車の音が聞こえる。窓を開けると、よりクリアに、よりダイレクトに。
年が明けてから3か月経つ。私は2DKのアパートの中で殻に閉じ籠るように、外界との関わりを拒絶している。
トントントントン
規則正しく進む時間の中で私は、その流れに抗うかのように立ち止まっている。
自分とは何か、他人とは何か、人間とは、世界とは、何なのか。
本の世界に魅入られた私は今年に入ってからずっと文字を追い続けている。
本は私の心の飢えを、欠けを満たす。
他人を拒絶して、排除して。だけど本当は愛したいし、愛されたい。臆病で醜い私を、慰めるでも無く、蔑むことも無く。受け入れも拒みもせずに、私の隣にいる。
その心地よさが、春の陽気で微睡む午後のようでそこから動けない。
春になると時間の流れがすこし速くなるような気がする。もったりとした時間が続くのは1月から3月で、4月になるとスイッチを入れたように徐々に動き出す。勢いは少しずつ増してゆき、そのまま師走まで駆けて行く。
エンジンのかかり始めた世界を、私はアパートの中からぼんやりと他人事のように眺めている。下の方から、透明なアクリルの上に行き交う人々の靴の裏を見ているように。
もうどうやって社会で生きていたのか思い出せない、半年前のことなのに。
毎日の世間話も、毎日繰り返すテレビのニュースも、バス停への30分の道のりも、どうやって処理していたのか思い出せない。
私はこの四角い部屋の中で、止まっている。
秋、空は紺色に深まりキンと刺さるような冷たい外気。部活終わりの私たちはその寒さで汗ばんだ体が刻々と冷えてゆくのを感じながら、ずっと帰路で話し続けていた。
頬も、鼻も、指先も冷え切っているのに体の芯は熱く、今はもう何を話したのか思い出せない他愛のないことで何時間も話した。
別れたあと家に帰るのが惜しくて、それでも玄関先のオレンジがかった電球の灯りを見るとホッとした。
暖かい玄関、何かはわからないがご飯のにおい、そして自分の髪の毛や着ていたコートから外のにおいがする。
あの頃には戻れない、だけどこのにおいを嗅ぐと何者かになれると信じてやまなかったあの頃に引き戻される。