自分の心についての記録

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自分よりずっと年が離れた子供達も、ようやく訪れた冬の冷気に頬を赤くしながら学校へ通っている。教科書がぎゅうぎゅうに詰められた重たいリュックやランドセル。背中が寒さと重みに耐えるかのように小さく丸まっていた。大人もそうだ。あらゆる責任を背負い、戦場に向かう足取りは重く、表情は険しい。ツルツルでこぼこな路面を、徒歩で、冬期間自転車に乗れない子達で密度の高くなったバスで、夏より渋滞気味になるからいつもより早く出なきゃいけない車で、みんな社会に溶けている。

家から一歩でも出たら誰も守ってくれない。自分で自分と闘いながら、他人に揉まれていかなければならない。

私は旅行から帰ってきて5日経つが、まだ外に出れていない。まだ日が完全に昇り切る前の薄暗く冷え切った寒空を玄関先で感じながら旦那を見送る。ありがとう、ごめんなさいという気持ちを込めて。異様に眠たくて、まだ温もりが残る布団へもう一度潜り込むと意識はすぐに何処かへ消える。

もう一度目を覚ますと先程よりも明るい空が目に飛び込む。昇りきったさんさんと輝く太陽と対比して、室内に居てもヒューヒュー聞こえる風の音が寒々しい。今日の最高気温は-3度になっていた。

自分の時だけが止まっている。みんなの時間はずっと進んでいるのに。自分だけが、安全で暖かい場所で殻に籠り生ぬるい生き方をしている。外が怖いと家から出れない、みんな嫌なのに。みんな学校や仕事に行きたくないのに。誰が私を責めているわけでもない、だから自分で自分を責めるんだ。そうでもしないと胸が苦しい。

ずっと真っ暗な世界を漂ってる。いつからここに居るんだろう。時々差し込む光を目指して、地上に上がる度に傷ついて、だけど視界が開けて気持ちが明るくなるのになんだか居心地が悪くなって。社会に溶け込み普通の大人として過ごす自分が自分じゃないみたいで。そのうちにまた沈んで暗闇の世界に戻る。ここは苦しいのに、ありのままの自分だから落ち着く。首を絞められて息が上手くできない状態が普通になってしまって、酸素を目一杯吸える自由な環境がかえって苦しくなって。

その狭間で普通になりたいともがく。自分の本当が何なのかもわからずに。

病院に行って薬を飲んでも良くならなかった。春になり仕事ができるようになっても、冬にはダメになった。いくら休養しても、生きづらさだけは年々増している気がした。

人と触れ合う事が昔より怖くなった。何かにチャレンジする事も。自傷行為はもうしなくなったのに。

カウンセリングを受けるかもうずっと迷っていたがとうとう決心をし、予約を取った。再来週に決まった。

自分1人でも解決できると思っていた。

生きづらさの根本的な原因は機能不全家庭で育った故の愛着障害だと自認できた。ここまで辿り着くのに10年近くかかったが、自分で見つけた。だけど多分それだけじゃない。思春期から大人になるまで、健全な大人と関わる機会が少なかった。どの職場の大人たちも、不健全だった。その不健全さを全て受け止めてしまう自分の不健全さも相まって私の傷は手をつけられないほど化膿しているんだろうなと。

誰かに頼るなんて、できなかった。辛いと、苦しいと口に出すのはいけない事で、自分より苦しい人や頑張っている人が沢山いるのに、そんなのダメだと自分に言い続けてきた。限界が近づき外に出したSOSはことごとく突き放され、呆れられ、腫れ物にされた。助けを求める事が怖くなった、自分が弱いだけだと、強くなればいい話だと、心にそっと鍵をかけた。

それが今、外部の人に助けを求められるまでに変わった。自分の中の大きな一歩を踏み出せた気がする。

確実に、少しずつ前に進めてる。一歩はとても小さいけれど、前に進めてる。

今は休んでもいいよ、大丈夫。

変わりたいと願い続けてもがいている限り、私は変われる、大丈夫。

また仕事もできる、人と上手く交われる。大丈夫。大丈夫だよ。

@ha_0036
私はここで嘘を吐かない