風の冷たさ、その中にじんわり混じる温もり。やわらかい雪の下から顔を出すアスファルト。少しだけ高くなった太陽。
春が近い、そう思った。
今年の冬はやっぱりヘンだった。雪が全然降らなくて、最高気温が10度を上回る日もあって、そうやって油断していたらドカ雪が降る。大して気温が低いわけでもないのに、寒さがやけに身に染みた。寒暖の激しさは私の心を表してる様だった。
引き篭もりの体に直射日光は眩しすぎて時々自分との差に落胆する事もあるけれど、今日はなんだか、背中を押されているような気がした。
ワイヤレスのイヤホンから流れるアニメの主題歌は、私を物語の主人公に仕立ててくれる。バス停、コートのポケットに手を突っ込み、ただ流れる車を見ていた。
1分、1秒の中で通り過ぎ去る人々
会社の名前が入ったバン、疲れた顔で煙草をふかす中年男性。子供を後ろに乗せた母親は大きなファミリーカーを悠々と走らせる。札幌ナンバーに室蘭ナンバー、観光か仕事か。タクシー運転手は客を探しているようだ。
いつもは他人の存在に怯えて、下ばかり向いていた。誰かに見られているような気がして怖くてたまらなかった。
だけど今日は違う。誰も私なんて見ていない、大丈夫と言い聞かせてドンと構える。
ただ真っ直ぐ、前の国道を見ていた。
バスが来るまでの間に、私の前を何台の車が通ったんだろう。何人が通り過ぎたんだろう。
私から見た他人、彼らからみた私という他人。1人1人の人生がある。それぞれが主役で、それぞれが脇役である。
世界は広い、一度も交わることのない人の数の方が多い。それでも狭いコミュニティの中の人間関係に悩み、怒り、喜び、悲しむ。
目に見えていないものの方が圧倒的に多いのに、私たちは今居る場所が全てだと思い込んでしまう。
人間は儚い。
地球が誕生した46億年の歴史を365日に縮小すると、1人の人間の一生はたったの0.5秒らしい。
瞬きをするほんの一瞬で、人は生まれ、死んでゆく。その0.5秒に詰まったその人の人生という歴史。
人間は、脆い。
自然には敵わない、その恐ろしさを私たちは知っている。結局、人のいのちというものは自然の気まぐれで成り立つものなんだな、という事を定期的に突きつけられる。
死んだらどうなると思いますか?
恩師は唐突な私の質問に笑って答えてくれた。
無機物となり土に還ると思います、と。死後の世界は否定派の様だ。目の前で優しく笑う人生の先輩も死を恐れた時期があったという。それ故に、この考えをするようになったと。
私も死について考え、眠れなくなる夜がある
先生の考えを拝借し、死の恐怖を払拭する自分の答えを導き出すことができた。
海は生命の揺籠だ。
死んだら、火葬され、煙となって空へ昇る。やがて雨となり、地面に降り注ぎ、海へ還る。海に降り注いだ私の一部は、みんなの一部と共に漂うんだろう。だから水中は心地が良いんだ。母の羊水の中も、海の中も、全て揺籠の中だから。
大好きな旦那も、旦那の家族たちも、先生も友達も、お母さんも、お父さんも、仲直りできなかった昔の友達も、みんな最後は同じ場所に還り、一つになる。魂の器の身体が消えても、魂は残り続ける。そう思うと、死が急に怖く無くなった。
たった0.5秒を懸命に生きる人間という種、なんて愛しい、なんて美しいんだろうか。
私は殻を破り、蛹から蝶へ変化しつつある。0.5秒の中で、自分を生きるために。
好きなもの、ピンク、モスのフライドポテト、ヴィヴィアンウエストウッド、そして考える事。
人に優しくありたい、自分に優しくあるために。