道路沿いのワークマンは出入り口が狭い。出る車を先に行かせてから駐車場に入ろうと道路で待機していた。車を運転していた中年男性は私たちにペコリと頭を下げ、駐車場からするりと道路に合流した。
「いい人じゃん」
自分で呟いて、咄嗟に『何で?』と、頭の中の私が言った。
何を根拠にいい人なんだろう、と、冷静になって考える。
道を譲って、お礼をしたから?
その人は家で妻を殴っているかもしれない。会社で部下に暴言を吐いているかもしれない。もしくは見た通り、律儀にお礼をする人だから気のいい人かもしれない。でも本当は人間が大嫌いで全員ぶっ殺したいと思ってるかもしれない。その気持ちをカモフラージュするために愛想良く振る舞っているのかもしれない。
気持ち悪いな、自分。
私がいま想像したことで、合っている可能性があるとしたら「気のいい人」の部分だけで、他の部分は全て戯れ事である。
だけど100%戯れ事になるかどうかは、私たち外部の人間にはわからない。彼にしかわからないし、彼自身も知らない深層的な思考もあるかもしれない。
私たちはどんなに大切な人のことだって、五感で拾い上げる情報と培ってきた情報や信頼からしかその人を理解できない。
その人になれるわけじゃないから、考えを聞いたって、その人の感じるものをそのまま理解することはできない。
それなのにいつだって私たちは他人の事をよく知りもしないのに、簡単に言葉を吐く。
いい人、かわいい、綺麗、醜い、太ったね、可哀想だ、酷い人だ、落ちこぼれだ、仕事してないの?、結婚は?、子供は?
義弟が留年してしまい、先日学校を中退したそうだ。彼とその話をしたわけじゃないし、そもそも普段の彼自身のことも、私はあまり知らない。
だけど彼の家族とはよく会い、話をする良い関係だ。中退したことも彼の家族から聞いた。
彼の家族と話していた時に、ふと、
「太ってきたよ」と、彼の家族が言った。
前後の話から間違いなく太ってきたのは彼で。だけどその話はそれ以上は広がらなくて。
家から出なくなったから太ってきた、そういう事だと思う。
先に言っておくが、彼女の言った言葉に意味はない。いつもの通り、見たことをそのまま口に出しただけ。元々物事をはっきり言う人だ。
だけどその時の私は、見てはいけないものを見てしまった時のような、じっとりとした居心地の悪さを感じた。
私は彼と仲良しではない。だけど仲が悪いわけでもない。
彼は捨て猫を拾い、自分のバイト代で猫達を世話している。私が猫のことを聞くと、まだ少し幼さの残る顔で微笑みながら教えてくれる。
私は彼のことをあまり知らない。
だけど、だからって、
私は彼に何かを言う事はないし、彼の家族にその言葉の意味を聞き返す事もしない。
ただ、苦しかった。自分の事では無いのに、苦しかった。
あのフレーズが頭の中にこびりついて、取れない。
いつか清掃のバイトをしていた時に、サニータリーボックスに剥き出しで入れられていたドス黒いナプキンを見た時のように。
グロテスクだ。私だって生理になれば自分から排出される血を見ている。
私だってワークマンの駐車場でグロテスクな言葉を吐いている。
だけど、気持ち悪い。
気持ち悪いと思いながら、無意識に気持ち悪い言葉を吐く私も気持ち悪い。
気持ち悪くて、苦しい。