この記事を読んで思い出した。暴力はもちろんダメなんだけど、それと同時にろんなものを奪ってしまった印象がある。極端、厳しく注意・フィードバックしてはいけないとか、間違ったものを間違っていると言ってはいけないとか。間違った心理的安全性とかも拍車をかけてる気がする。それこそお友達の仲良しクラブみたいなぬるい環境みたいな感じ。そのぬるい環境から抜けて違う社会に行ったときに、その厳しさに耐えられなくなるんだろうな。
まず、前提として、「お客が言っていることを全てやらないのは手抜き」とか「そもそも知識として持ってないにも関わらずできないのは手抜き」とかではない。それは前者は仕事の契約の問題だし、後者はそもそもできるわけがない。
既に経験・知識を持っている人からのフィードバックに耐えられないってことを言ってるんだろうな。と理解している。で、最後に誰も言ってくれなかったと他責にするんだろうな。
フィードバックといえばまだエンジニア2年目ぐらいにボロボロのDB設計をしたときにそのときの上司が「もっとDBを勉強した方がよいよ」と言ってくれた。その時は情報系の大学を卒業してるのもあってちょっと「自分はできる」と思っていたところに対して、当時は厳しいフィードバックだなーと思ったのをはっきり覚えている。それが結構悔しくて頑張って勉強するようになった。おかげでDBは自分のメイン技術になっていて感謝している。
なので、上司から「仕事が厳しい」というフィードバックをもらう時は完全に無視してる。なぜならば、お金をもらって仕事をしている以上、自分の持ってる知識・技能を時間と賃金分出し切らないのはプロとして手抜きだと思うし、手を抜く意味がわからない。あと、厳しいという表現がそもそも抽象過ぎる。
また、一度手を抜くとそれが癖になって、自分の中でこれでいいや。という妥協が生まれるという悪循環が生まれる。妥協したら直に周りに伝わるのでその瞬間にエンジニアとしては生き抜けていけなくなる。自分に取ってはプログラムを書くのは遊びの延長でもあるが、同時に仕事場は戦場なのである

