フェリーの旅・愉快な幽霊たち
大好きな女の子の友達
犬街ラジオと猫のおしっこ
天使になって祝福を与える
三〇〇キロの愛娘
〇〇さんが行方不明になって一年が経ちました
誰も私を心配しない
ドドドド
血溜まりの男
タイ人のおじさん
フェリーの旅・愉快な幽霊たち
大きなフェリーで旅をしていた。快適だが船室に建付けの悪い窓があって、その隙間からニホンザルが入り込んでくるのが唯一の難点だ。猿は食べ物をあさるのが目的のようで、ひどい時はどこかからかさらってきたシーズーと思われる小型犬を抱いてくる。猿と犬とは犬猿の仲のはずだが、犬がいたほうが人間の同情をひけることを覚えたらしい。
船旅で猿によるちょっとした騒動が持ち上がり、私も一緒にあわてふためいていたら興奮したクロスズメバチに首を刺されてしまった。とたん激痛に襲われ倒れ込んだ。息苦しいような気がして、声が出なくなる前に夫に向かって「エピペン持ってきて、エピペン持ってきて」と叫んだ。アナフィラキシーショックを防ぐ携帯用注射器だ。
ひげをたくわえた初老の紳士である夫は何を勘違いしたのか、エピペンを片手に鬼のような形相で戻ってきた。私は刺されて気分が悪くなりながらも「息ができなくなってからでいい、息ができなくなってからでいい」と制止したが、夫は思い詰めた表情でピストル型のエピペンを私の首に三発撃ち込み、最後に自分のこめかみに撃ち込んで床にぶっ倒れた。私も床に転がった。まわりの客たちがざわついているのはわかったがだんだん意識が遠のいていった。
気づくとフェリーはどこにもなかった。水平線まで何も見えない海に、他の死者たちと一緒に頭だけ出してぷかぷか浮いていた。私をエピペンで射殺した夫だけは、満足のいく心中ができて成仏したのか姿がなかった。死者たちの中には五、六人の人間がいたけれど知っている顔はない。そのかわり例のシーズーを抱いたニホンザルが混ざっていた。そう、死者の群れは人間だけとは限らないのだ。オオサンショウウオやペンギン、クビナガリュウの幽霊もいてなかなか愉快である。
クビナガリュウは大きな黒いリュックを抱えていたが、気を抜いてリュックを離すとすぐに沈んでしまうことに悩んでいた。実演してもらうとなるほど、リュックだけが死者とは違った物理で動いているらしく、手を離したが最後すさまじい速さで沈んでいく。わざと手を離してはすばやく潜ってリュックを捕まえる遊びに興じているうち、意外とすぐ足元に砂地が広がっていて、さほど深くないことがわかってきた。 一行はどこかに向かって進んでいった。
死者が陸に上がってやることといったら、姪っ子の発表会を観に幼稚園へ行くことくらいしかない。ぞろぞろ死者を引き連れて幼稚園に到着するとちょうど発表会が始まるところだった。フェンスで囲まれた小さな園庭にたくさんのパイプ椅子が並び、保護者が我が子の登場を待っていた。私たちが門を開けて入ると、何人かが「あれ、風が強くて門がバタバタする」と不思議そうに言った。
大好きな女の子の友達
私は小学生の女の子で、大好きな友達がいた。クラスが一緒で席も隣の女の子だった。しょっちゅう振り向いて話しかけるのだが、その子はなんだか元気がなかった。
とうとう学校を休むようになったので、心配で心配でその子の家まで出かけていった。呼び鈴を押すとその子のお母さんが出てきた。その子は病気で寝ているのだと言って家には入れてくれなかった。元気になるようおみやげに持ってきたジュースを渡すと、お母さんは顔をしかめたけれど、最後には受け取ってくれた。
その日はお父さんとお母さん、兄と姉の家族みんなでショッピングモールへ行って楽しく夕飯を食べた(実際の家族とは顔も家族構成も違っていて、私は三兄弟の末っ子だった)。
次の日学校に行くと、その子は来ていなくてがっかりだった。その子が座っていた席に白い布をかけた台のようなものがあって、花束が山のように乗っていた。真ん中にメッセージが添えてあり、筆で書かれているのでなかなか読み取れなかったが、私の大好きなその子は亡くなったらしかった。ショックだったが突然すぎてぽかんとした気持ちになった。
クラスの他の子供や、なぜかその場にいた死んだ子のお母さんの反応を見て、私がおみやげに持っていたジュースが毒入りで、それを飲んだせいで死んだという話になっているらしいことがわかった。でも、みんな私に疑いを向けつつも面と向かって尋ねる勇気はないようだった。
心当たりがまったくないまま家に帰った。母にどう話していいかわからず、クラスメイトが亡くなったことや、私が疑われているような気がすることを伝えると、母は「そう、でもあんたの下に生まれた双子がいたけど、それもあんたが殺したもんね」と白い顔でつぶやいた。
犬街ラジオと猫のおしっこ
実家からいつものように犬街ラジオを配信していたら、自分ちの猫がやってきてものすごく臭くて黄色いおしっこをマーキングのためにまき散らした。あわてて一旦ミュートにしてから、手近にあった布をおしっこにかけて床に染み込まないようにした。
片付けを手伝ってくれる家族を呼ぶと母が来たのだが、布をかけたのが母の目には「臭いおしっこをわざわざ塗り広げる行為」と映ったらしく母は怒り始めた。説明を試みているうちに猫が別の場所でまたマーキングを繰り返すのでますます収拾がつかなくなった。その間にも犬街ラジオはどんどん進行していく。私の朗読順は一番最後だけれど、まだ今日朗読するものも決めていないのにと焦りながら猫の後ろを追いかけて後始末をしていたが、気づけば終了時刻まで三十分を切っていた。
「ああ、二人に事情を伝えることすらしないまま途中退席してしまった」と思いつつイヤホンを付け直して配信を聞いた。すると、戻ってこない私の穴を埋めるために北野勇作さんが知人を呼んだらしく、ゲストにものまねタレントの清水ミチコさんが来ていた。清水ミチコさんの軽快なトークで犬街ラジオはかつてないほど盛り上がっており、ほっとすると同時に少しさびしくなった。
天使になって祝福を与える
屋上にビオトープがあって、まわりに人だかりができていた。カエルや水草がたくさんで、集まっている一人はイモリが好きらしくとても嬉しそうだった。
建物を出て街を歩いていると私はいつの間にやら天使で、空を飛んで移動していた。一度家に帰ったが、一軒家の間取りが変わって私の部屋も移動になると言われ、家具をどう動かすかパズルのように頭を使って疲れた。
また街に出て空を飛んでいると、ときどき人々が私を目撃してしまってこっちを指差した。気が向いたら道行く人に祝福を授けてやったが、指先からぱらぱら落ちていくそれは塩少々にしか見えなかった。
途中大きな馬だか熊の赤いぬいぐるみを手に入れた。しかし抱えて飛んでいると地上にいる人たちからは「空を飛ぶ赤い化け物にさらわれている人」にしか見えないようで、人騒がせなので開園間もない幼稚園の軒先に放置してきた。
空を飛んだまま万博記念公園のあたりに来た。いつの間にか夜で、地面にはたくさんのジャンキーたちが寝そべっていた。そのうち何人かが私を見つけて追いかけてきた。「飛べるからいいけど万博記念公園がこんなに怖いところだとは知らなかった」と思った。
三〇〇キロの愛娘
とある会社の見学会に行く。そこそこ規模が大きく歴史のある企業のようで、廊下に敷かれたくすんだグリーンの絨毯は毛がすり減っているけどふかふかだ。全面はめ殺しの窓からは高速道路が見える。
応接室に案内される。その部屋には会議テーブルのような案配で大きな鉄板焼き用の鉄板が据え付けてある。六十歳ほどのアメリカ人夫妻が登場し、ごちそうをふるまうからぜひ食べていってくださいという。
運ばれてきたのは小山のような肉の塊で、あまりの巨大さに自重で柔らかくつぶれ、半分に切った肉まんのような形をしている。私たちは焼けた肉を食べ始めるが、水っぽくてぶよぶよしていて脂っこく、あまりおいしいとはいえない。肉塊から突き出しているのが人間の手にそっくりなことが気になって尋ねると、これは私たちの娘なんだと夫が説明する。
私たちにはかつて娘がいたんだ、と夫妻は言う。食べることが大好きな娘で、体重はゆうに三〇〇キロを超えていた。自力で移動ができなくなってもいつも笑顔を浮かべている明るい娘だったが、惜しくも戦争による空襲で命を落とした。街に避難命令が出たのに、娘はヘルパーの助けがないと歩けなかったからだ。
私たちは娘を冷凍保存しておいたんだよ、そのまま葬るなんてとてもできなかったし、大体娘が入る棺桶ないんてないのだからねと夫はいう。夫妻は今日この日のためにその半分を使ってくれたというわけだ。肉の塊は大きすぎてどの部分がどの向きで乗っているのかよくわからない。断面を見ると、上半分は組織の密度が高いのに対して、下半分はスポンジのようにスカスカだ。それでなんとか、下半分がお腹の脂肪だろうと見当がついた。
〇〇さんが行方不明になって一年が経ちました
私の好きなバンドが、Instagramでいつもと違う雰囲気の投稿をしているのが目に留まる。「〇〇さんが行方不明になって一年が経ちました」という投稿と一緒に女性の写真が添えられている。年齢は四十代半ば、お酒のコップを片手に快活そうに笑う女性だ。そのバンドが昨年やった全国ツアーに音響メンバーとしてついていっていた人で、しかしツアー中に静岡県で行方不明になってから今日まで一切の消息がわからないのだという。
そこで私は「あっ」と思い出す。胸がどきどきしてくる。私が去年殺した人ではないか。記憶は驚くほどあいまいで、しかし殺したことは覚えている。私も去年のちょうどその頃家族と一緒に静岡旅行をしていた。バンドの一行も同じ日同じ街に滞在していたのだった。そのことをInstagramで知った私は、DMで女性とやり取りをして言葉巧みに崖の上へ誘いだした。それから、崖から飛び降りるようそそのかしたのだったか、それとも女性が景色を眺めている隙をついて突き飛ばしたのだったか、そこがどうも思い出せないがとにかく殺した。
崖の下から死体が見つかったという報道はまだないはずで、だから女性は死亡ではなく行方不明という扱いになっている。でも、メンバーがこうやって大々的に呼びかけたら発覚してしまうかもしれない。
もし死体が見つかったとして、自分に疑いの目が向けられる確率はどれくらいあるだろうか。ほとんどない気がする。だって私には犯行の直前まで女性との接点はまったくなかったし、したがって殺す動機もないからだ。ではなぜ殺したのかというとそこがはっきりしない。強いていえば、できたから、ということではないかと思う。いろいろな条件が重なって、人を殺しても自分が疑われない状況だったから殺してみた。好きなバンドに関わっている裏方的なスタッフというのも殺す相手として手頃だった。何より私には家族旅行中というアリバイがある。家族旅行の合間に人殺しをするなんて常識的に考えられないから、たぶん疑われたりはしないだろう。崖も山道を外れたところにあって防犯カメラなどもないはずだし。ただDMには女性と待ち合わせるまでのやり取りが残っているかもしれず、私はメッセージ消したけれど相手のスマホを見られたらと思うと胃が重たくなった。
バンドがどれくらい真相に近づいているのかどうしても知りたくなってライブ会場に行った。するとライブ会場の設営をしているショートカットの女性に声をかけられ、食堂で一緒にごはんを食べないかと誘われた。明らかに何か意図があるようだったので黙ってついていった。
大学の学食のような安っぽい食堂にはあまり人がおらず、生意気な顔つきの小学生たちが数人、テーブルの間を追いかけっこしていた。ショートカットの女性はかつとじ丼やカレーなどのメニューを一つ一つ解説しながら、時々私の反応をうかがっている様子だった。そんな遠回りをするくらいなら、「お前が殺したのか」とまっすぐ聞いてくれたらいいのに、と思いながら私は質問に答えていった。
誰も私を心配しない
実家で暮らしていて、なんだかだるいので横になっていた。母は口には出さないが「まただらけている」と思っている様子だった。頭が痛くて本当に具合が悪いのだが家族は気づく気配がない。
テレビから爆音でオモコロチャンネルが流れていて(これは寝てる間本当に流してたから)、うるさいので這ってテレビまで行き、音量を下げた。それでも家族は「何をこれ見よがしにだるそうに」という感じだった。「病院に行ってくる」と告げても興味がなさそうだった。
重たい体を引きずるように外へ出て門を振り返ったが、当たり前だが見送りはなかった。ふと、今見送りに出てくれないともう家族と会えない気がした。歩きだすといよいよ視界は狭く、ゆらゆら揺れ始めた。小さなかかりつけの医院がある駅前のあたりで頭痛がひどくなり、顔を触ってみるとゴムを触っているようにぶよぶよだった。顔の半分が麻痺しているのだ。「やばい、脳卒中だ」と足を早めたがなかなか進まなかった。力の入り方が変なのだろう、気づくと首が曲がっていてあさっての方向を向いてしまう。これはまずい、誰かに助けてもらおうと道行く人に声をかけたが、唇の端から息が漏れて呂律が回らず、みんな怪訝そうに通り過ぎていくばかりだった。
ドドドド
同じマンションに文章を教える人がいるので依頼した。スポーツをやっていそうな若干ちゃらい見た目の男性で、言うことは的確なので良かったが、だんだんこちらに執着するような言動が増えて不気味に思うことが多くなった。
そこで、報道記事の見出しを考えるという課題で、少し牽制するために「大手企業の役員がセクハラで逮捕」のような内容を盛り込んで見出しを作った。それを提出する予定だったが、頼んでいないのに「直接部屋に取りに行きます」と連絡が入り、いよいよ嫌な気分になった。
そこへちょうどパートナーが来たので、その人のことを大まかに相談し、私は玄関に出ずパートナーに対応してもらうことにした。ノックの音がしてパートナーが課題を手渡すと相手は少し沈黙した。驚いているらしかった。その場は何も起こらずに終わったので、扉を閉めて戻ってきたパートナーにくわしい事情を話していると、いきなりドドドドッと廊下を駆ける音とともに「殺してやる!」と叫ぶ声が聞こえた。激しくドアが叩かれて、何と言ったか聞き取れなかったらしいパートナーが「なになに」と鍵を開けようとするのを「やめて!」と制止するところで目が覚めた。
この夢の話をしたら、パートナーも悪夢を見たという。友達数人と山を歩いていると熊が出たので逃げ、どうか友達の方へ行ってくれと願いながら走っていたが熊と目が合ってしまい、熊がドドドドッとこちらへ走ってくるところで目が覚めたそうだ。怖いものに追いかけられるというほとんど同じような夢だし、ドドドドという足音も共通していたので、その日降っていた雨の音か雷の音か、現実に何かあったのでは、と話した。
血溜まりの男
地下鉄駅に下りる階段にところどころ薄い血だまりができている。階段に座り込んだ坊主頭に眼鏡の男がノートパソコンを開き鬼気迫る表情で作業していて、後頭部が割れている。通行人は誰も構わないので地下のローソンへタオルを買いにいくと大混雑。セルフレジに並んでいたら後ろから尻を触られ、振り返って犯人らしき男の顔をにらみつけた。恐竜とABCと数字の書かれたタオルハンカチを購入して階段の男に持って行く。男は人工知能の研究者だった。「絶対病院に行け」とすすめると男は恐縮して、「現実の人はみんな無視したのに」と言う。そういえば私は、混雑を緩和するために現実と重ねるように作られたVR空間を通勤中なのだった、最近はVRも混んできたな、と思う。
タイ人のおじさん
急に思い立って一人でタイ旅行に行った。何も調べていないので、都会の真ん中にある憩いの場としてアリバイ的に作られたような汚い公園でベンチに座り、スマホで周辺情報を検索した。
すると六十五歳くらいのタイ人のおじさんが話しかけてきた。古ぼけたスカジャンのポケットに両手を突っ込んだまま隣に座ってくる。詐欺を疑ったが片言の英語でただ世間話が続くので、こちらも合わせて片言の英語で応答した。タクシーの運転手らしかった。
しばらくするとおじさんは懐からたばこのようなものを取り出して一口吸い、こちらに差し出してきた。たばこのようなものは紙の巻き方が乱雑で葉がこぼれかけており、あと一口二口吸えば燃え尽きてしまいそうな短さだった。「これは大麻では」と悟ったが、差し出し方がとても自然だったのでとっさに手を出して受け取った。一口だけならと思い吸うと口内に臭い煙が流れこんできた。なるべく肺に入らないよう、吸う格好だけしてすぐ返した。
おじさんのどうでもいい話を聞いていると、じきに気分が明るくなり、視界の端がゆがんで赤い孔雀の羽みたいな幾何学模様を作った。おじさんが意味深に「どう?」と聞いてくるので、「ものすごくおいしい高級な紅茶を飲んだ時の気分に似ている」と答えたら、「ぜんぜん違うよ」とおじさんは笑った。「だって、私は大麻が違法の国から来たんだから、うまく説明できないよ」と言い返した。
それから、どこを観光するか迷っていたことを思い出して、「あなたの国でもっとも誇らしいものはなんですか」と英語で尋ねた。おじさんは黙って深く考えこみ始めたので、すごく込み入った質問をしてしまったことに気づき、「じゃなくて、おすすめの美術館とか博物館とか」と付け加えたが、おじさんは遠くをじっと眺めたまま返事をしなかった。